暑い。そのせいばかりでもなかろうが、ここに書くのもご無沙汰だ。
読めないからである。何も読まなければ、読んだ本について書きようがない。
それでも、先月の28日に、T・ジェファーソン・パーカー『渇き』(渋谷比佐子・訳、講談社文庫、1998)を読了したことは、私的な「読了記録」の末尾に記録した。
文庫本とはいえ600ページを超えるもので、一気に読み終えてしまうには長い。実際には2か月近くもかかったという可能性がある。こんなに鈍い読み方は、ほとんど記憶がない。
丁寧に読んだから、というのではなく、単に読めなかったからだ。
夜、寝床に入ってから読むのだが、数行読むと眠気がさしてくる。そのまま眠るかと思えば、それも出来ない。何しろ暑くて、頭もまともに働かないのだ。
眠れなくても、頭がぼおっとしていて、文字を見続けることができない。だから、ひと晩に読み進んだのは数行という日もある。
考えようによっては、ゆっくり読めたといえなくもない。
連続もののテレビ・ドラマかなんぞを見ているようで、少しづつ展開していく。
夢中になって読むという感じではない。ただ展開を見ているだけみたいな。
そうまでして、とにかく読み終えたのだ。ま、何か読むものを持って寝床に入るのが常だから、材料があったのは良かった。
図書館にもしばらく足を向けていない。
暑いというより焦げてしまいそうなので、なかなか出向けないでいる。
何か借りてくれば、また読書欲が復活しないものでもないとは思うのだが ・・・