大川周明の名は、高校の日本史の授業で初めて知った。
A級戦犯となるも、東京裁判で東条英機の頭をポカリとやったりして、正常な精神状態の者ではないと判断されて釈放されたが、後にコーランを全訳したりなどしたのだから、本当におかしかったのかどうか疑わしいのだが、などという教師の話だけは記憶に残っている。
彼は五・一五事件に連座して市ヶ谷の刑務所に収監されたのだが、昭和11年と12年の「獄中日記」なるものを収めた本を読んでいる。
それを読むと、大川が教養人、インテリであったことがよく分かる。
昭和11年7月27日の日記に日課の時間割を記しているのだが、それによると起床が5時で就寝が8時である。
その中に読書時間を割り振っていて、その中に「読書」の時間があり、
八時より十一時まで読書。・・・ 二時より五時まで読書。
とある。また、翌28日の記述には
読書はフランス語と碧巌録。
とある (大川は日記中にフランス語や英語による記述をするほどだから、語学にも堪能だったのだろう)。
8月1日には「可笑記 (万治2年刊行)」からの引用を書きつけているし、どの箇所だったか分からなくなったが、差し入れかと思われrがモンテーニュを読んでいたりする (原文で読んでいたのかもしれない)。
以上、読んだ範囲においてだが、読書関連としてメモしておく。
それはともかく、読書時間が日に3時間づつ2度にわたっている。つまり、1日に6時間は読書をしているわけだ。さすがだと関心する。私など、今は、寝床に入ってからの10分くらいだったりするから、まるで本を読めなくなった。でも、今はそういう時期なのかもしれない。読み終えればいいという読み方でなく、内容を理解しようという姿勢で読むように変わったと思う。(年のせい?)
* 私がメインにしているブログの方にも、大川周明関連で [大川周明の北一輝評] と題した抜き書きを書いてみた ("書いた" とはいっても、書いたのは大川周明であるけれども)。