2人の翻訳家

田口俊樹 『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳 この四十年』 (本の雑誌社、2021) を読み終え、続けて、その前から読んでいた柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1998) も読み終えた。

 

 どちらも翻訳家という点では共通しているが、分野は必ずしも重ならない。

 

柳瀬尚紀氏の方はジョイスが有名で、田口俊樹氏の方は 「エンタメ」 の膨大な翻訳での実績を積んでいる人。

 

実は 『辞書はジョイスフル』 の方はかつて、少なくとも一度は通読したことがある (今回が二度目なのか三度目なのかは分からない)。もう、名人芸も極まれりという内容。

 

対して田口氏の方は、翻訳以外の文章を読んだのは、これが初めて。そして、翻訳というのは、かくも奥が深いものなのかと知らされた。

 

 

* 本当はメモを取っておきたい事柄もあったのだが、夜、寝床の中で読んでいて、とにかく 「通読」 することが目標ではあり、そのままパスしてしまった。何しろ、私の部屋は寒いので、手の先を布団から出すだけで 「手いっぱい」 なのである。

 

 

 

 

図書館へ

ヘルニアも、かなり改善してきたようなので、久方ぶりに図書館に行ってみた。

 

まぁ、何とか歩けた。

 

2冊だけ借りる。本当は、他にも借りてみようかなと思った本はあったのだが、欲張っても読み切れないだろうから。

 

借りたのは田口俊樹 『日々翻訳ざんげ』 と望月諒子 『蟻の棲み家』 である。

 

前者は翻訳家のエッセイ (*) で、後者は小説。読み切れるかどうか。

 

 

* 柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1996) を再読中なので、翻訳家とはすごいものだと感心しているところ。「田口俊樹・訳」 となっている翻訳書を読んだ記憶があるので、翻訳家つながりで。

 

敗北者の思想

最近はヘルニアもかなり良くなってきたので、そろそろ図書館に出かけて本でも借りて来ようかと思ってみた矢先、県内ではオミクロン感染者が無視できない数にのぼり、重点措置法だったかの適用を受ける始末。

 

今回は、まだ図書館は休館措置を取っていないようだけど、いつ以前のように閉館状態が続くことにならないとも限らない。

 

行くなら今のうちかなぁ。足を引きずって、体を左右に揺らしながら (右足を庇うために、変な歩き方になるのです)、体を前のめりにして (こうすると痛みを感じにくい)、そんな状態で街中を歩いて図書館までたどりついて、本を借りるべきか (とはいえ、今はそれほど極端な歩き方をしなくてもいいほどに回復はしているのだが、完全に元通りとはいえない。まだ、いくらかの痛みは感じる)。

 

まぁ、手持ちの本の再読も無意味ではない。

 

先日読み終えた白川静孔子伝』 (中公文庫、2003 [1991) など、1度通読したくらいでは頭に入らない本だ。

 

とはいえ、これが少なくとも2回目の通読 (前はいつ読んだのだっけ)。

 

とにかく漢字の多い本だ。といっても、固有名詞などが漢字で表記されてるから (古代中国だから当然だけど)、それが読めないことが多くて、おまけに古代中国の地理や歴史を知らないから、すんなりと頭に入って来ない。

 

孔子は巫祝の世界から出た人らしい。それを頭に置いておかないと、「礼」 を重んじた孔子を理解できないのだろう。

 

読んでいて思ったのが、「あ、おれはそもそも 『論語』 を通読したことさえなかったなぁ」 ということ。

 

そんな者が、この本を読んで、どれほどの理解をすることが出来るだろう。

 

にもかかわらず、2回目だか3回目の通読である、少しは雰囲気だけでも味わえたかもしれない。

 

論語』 という書物は、孔子の語った語を、そのまま記した書物ではないらしい。

 

孔子没後に、弟子たちや、派生したいくつかの流派みたいな者たちの作為も加わったもの。

 

また、孔子の思想のまっとうな後継者は、意外にも 荘周 つまり 荘子 かもしれないということ。

 

それから、戦後の価値観の崩壊した時期に白川静の手元に置かれていたのは『論語』 に加えて 『聖書』 だっというのも意外。

 

それだけでなく、白川静によれば、『論語』 も 『聖書』 も、「敗北者の思想」 だという。

 

それってニーチェの言い方みたいだな、と思った。

 

改めて、もう少し丁寧に読んでみなければ分からない本ではある。

 

 

その後、寝床で読む材料にしているのが 柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1996) だ。

 

これは、ある意味、やはり読みにくい。といって、読めないことはないのだが、とにかく細かい。

 

ここまで細部に拘るのが プロ というものかもしれないが。

 

しかし、寝床で読んで 催眠剤 の代用とするには、これくらいが適当かもしれない。

 

本気で読むならば、だが。

 

 

 

 

最近

最近はネタがない。

 

ヘルニアで歩くことに問題があって、市の図書館にも出向けず、新たに本を借りれない状態が続いている。

 

仕方がないから、所有する本の再読をしているのだが、それにしても白川静孔子伝』 (中公文庫、改版003) を読むスピードが遅い。

 

夜、寝床の中で数ページほど読み進むと、もうお寝みだ。

 

何とも読みにくい本である。漢字はやたらと出てくるのに、ほんの一部にしかフリガナが付いていない。

 

読み方はいい加減にして読んでるが、文章も論旨がすんなりと頭に入ってこない。

 

もう少し漢字が読めれば違うのかもしれないが、そちらの方に気を取られているうちに、何を言ってるのかがよく分からなくなる。

 

文庫本に入れるのなら、もう少し読者の便宜を考えてもらいたいものだが、あまりにも漢字が多いし、読み方も歴史的なものが入ってるので、フリガナを付けるのが面倒だったのだろうかと思ったりする。

 

まぁ、催眠剤の代用にはなる本かもしれない。

 

Hello

Hello は英語の 「ハロー」 という、アレ。

 

ところが、Hello という名の作家もいたのだ。

 

フランス人で、Hernest Hello という名の人 (1828-1885)。

 

ただし、読み方は エルネスト・エロー だ。

 

Wikipedia [エルネスト・エロー] という項目がある。

 

マーガレット・ウィルソン

Project Gutenberg に Margaret Wilson 作 The Able McLaughlins という小説が出ていた。

 

マーガレット・ウィルソンといえば、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの長女の名。

 

そんな人の書いた小説なのかと思ってしまったが、そうではなかった。

 

大統領の娘は Margaret Woodrow Wilson (1886-1944) で、小説を書いたのは Margaret Wilhelmina Wilson (1882-1973) の方。別人である。

 

Margaret Wilson は、The Able McLaughlins を発表して、1924年にピューリッツァ賞を受賞した。

 

1914

ジョージ・オーウェル (George Orwell) の 1984 という作品は有名だが、同じように年代をタイトルにした小説がある。

 

それは John Oxenham の 1914 という小説。

 

読んだことはないが、第1次大戦を舞台にしたものかも。

 

ネット上に公開されているので無料で読めるが、英語だし、長編なので、私の読解力では荷が重すぎる。