過去の読了書記録から (7) - 2006年1月~6月

この 「過去の読了書記録から」 というのを、最近は出してなかったな。久しぶりに出してみよう。

 

2006/01/04 M・ハーシュ・ゴールドバーグ 世界ウソ読本
2006/01/13 Tracy Chevalier Girl with a Pearl Earring
2006/01/16 松岡美樹 ニッポンの挑戦 インターネットの夜明け
2006/01/17 中島らも 今夜、すべてのバーで 講談社、1994

2006/02/14 島田雅彦 漱石を書く 岩波書店、1993
2006/02/21 コリン・ウィルソン コリン・ウィルソンのすべて(上・下) (中村保男/訳) 河出書房新社、2005
2006/02/21 リチャード・フッカー マッシュ 角川文庫
2006/02/02 ジャック・ロンドン 白い牙 新潮文庫
2006/02/24 安部和重 ニッポニアニッポン 新潮社、2001
2006/02/24 デーヴァ・ソベル 経度への挑戦 -- 1秒にかけた4百年 (藤井留美/訳) 翔泳社、1997
2006/02/27 塩野七生 男の肖像 新潮文庫
2006/03/02 グレアム・グリーン 第三の男 落ちた偶像 負けた者がみな貰う [グレアム・グリーン全集-11] 新潮社
2006/03/04 村上春樹 意味がなければスイングはない 文藝春秋、2005
2006/03/09 早乙女貢 ばさらい奴
2006/03/12 海野弘 陰謀の世界史 文藝春秋、2006
2006/03/12 W.G.ゼーバルト 目眩まし [ゼーバルト・コレクション] (鈴木仁子/訳) 白水社、2005
2006/03/19 ハンプトン・サイズ ゴースト・ソルジャーズ -- 第二次世界大戦最大の捕虜救出作戦 (山本充伸/訳) 光文社、2003
2006/03/21 ジェイムズ・グリック ニュートンの海 -- 万物の真理を求めて (大貫昌子/訳) NHK出版、2005
2006/03/23 小林標 ラテン語の世界 中央公論新社、2006
2006/03/29 フラン・オブライエン ハードライフ (大澤正佳/訳) 国書刊行会、2005
2006/04/06 村上春樹 ランゲルハンス島の午後 新潮社、1993
2006/04/07 群ようこ またたび回覧板 新潮社、1999
2006/04/09 沢木耕太郎 地の漂流者たち 文藝春秋、1992

2006/04/13 マックス・リューティ 昔話の解釈 -- 今でもやっぱり生きている 筑摩文庫
2006/05/07 ジェフリー・S・ヤング スティーブ・ジョブズ -- パーソナル・コンピュータを創った男 - [上][下] (日暮雅通/訳) ICC出版局、1989
2006/05/10 辻井重男 暗号と情報社会 中公新書
2006/05/14 萩野貞樹 旧かなを楽しむ -- 和歌・俳句がもっと面白くなる リヨン社、2003
2006/05/16 ジョン-アレン・プライス レッド・デルタ浮上す
2006/05/21 三好徹 外套と短剣 集英社文庫
2006/05/31 谷崎潤一郎 文章読本 中公文庫
2006/06/17 坂口安吾 散る日本 角川文庫
2006/06/21 忍足欣四郎 英和辞典うらおもて 岩波新書
2006/06/24 ギリェルメ・フィウーザ 俺の名はジョニーじゃない (長谷部・F・慶太/訳) 青山出版社、2006
2006/06/30 宮崎学大谷昭宏 グリコ・森永事件 -- 最重要参考人 幻冬舎、2000

 

 

必ずしも正確な "記録" とはいえないかもしれないが、おおむねこんなところ。筒井康隆の 『笑犬樓の逆襲』 を読み始めたはずだが、読み終えたという記録を残してないので外した。

 

他にも、H・エーベルレ/M・ウール[編] 『ヒトラー・コード』 (講談社, 2006) を読み終えたとは記録していないが、これは "記録" を集めたもので、"通読" するタイプの本ではなかったせいかもしれない (実際、途中で読むのを放棄した可能性が高い)。

 

他にも、坂下夕里 『これならわかるC 入門の入門』 (翔泳社, 2005) も、これはさすがに普通に "読む" タイプの本ではないので外した。

 

さらに他にも、ロバート・W・サイデル 『原子爆弾開発ものがたり』 (近代文芸社、2001) は通読すらしていないので外したのだが、あまりにもお粗末な訳文に腰を抜かさんばかりに驚いたせいで読めなかったのである。とても日本語に訳されているとはいえないもの。超ひどい訳文なのに、どうして出版したのか、不思議で仕方がない。

 

Tracy Chevalier の Girl with a Pearl Earring は、映画化もされた作品。読みやすく、分かりやすく、私のお粗末な読解力でも、それなりに楽しめた。

 

中島らも 『今夜、すべてのバーで』 は、中島らもについて少しでも知ってる人は、「ああ、なるほど」 と思って読むかもしれない。面白かった。

 

コリン・ウィルソンのすべて』 については、訳者が名前の知れた人なのに、どうも訳文がすんなり読めなかった。本当に中村氏本人が訳したのだろうか。

 

訳文といえば、G・グリーンの 「負けた者がみな貰う」 なんかも、妙に違和感を覚える日本語だった。

 

W・G・ゼーバルトの作品は初めて読んだのだし、それだけしか読んだことがないが、まるで何が何やら、意味が分からなかった。

 

逆に訳文に感心したのは、フラン・オブライエン 『ハードライフ』 の大澤正佳さんの訳。

 

『地の漂流者たち』 は沢木耕太郎が24歳だったかの若い頃に書いたものだが、これも読んでえらく感心したようだ (ただし、ずいぶん前のことなので、内容が思い出せない)。

 

読んでも読まなくても、それなりに本を手に取っていたんだなぁと思う。今は、とてもじゃないが、こんなに次々とは読めそうにない。

 

オープンな関係?

久しぶりに途中まで読んで放り投げてしまっていた Freya North の Sally を、以前読み進んでいた辺りから読み始めた。

 

"読む" とはいっても、私の英語力では、おおよその内容をつかもうとする程度のものでしかない。

 

水疱瘡のために勤める小学校は休職して、いくらか良くなったところで、何という島の叔母のろころに療養を兼ねて出かける。

 

そこでの生活を満喫するサリー。

 

叔母がサリーにいい人がいるのかと尋ねる場面がある。

 

叔母が、知り合ったのはいつだと聞くから、秋からだと答えるサリー。

 

叔母が 「Going steady, then?」 と問う。

 

どう訳したらいいのか分からないが、固定的な恋愛対象であり、そのまま行けば結婚するかもしれない相手なのか、みたいなことかもしれない。

 

サリーはそれに対して 「そういう関係だというのは合っていないと思う」 と答えて、何とか説明しようとするが、うまくいかない。

 

叔母は 「まさか "オープン" な関係なんていうんじゃないでしょうね?」 というのだが、この open relationship とは、互いに相手を束縛しない、つまり相手がさらに愛人などを持っても許容するし、自分も自由に恋愛などをする、そういうふうな関係のことらしい (Wikipedia [オープン・リレーションシップ])。

 

サリーはこれも否定して、「初めは好きなように付き合おうと思ってた」 のだと言い、ジャッキー・コリンズの小説に描かれてるみたいに」 と言うのだが、叔母はジャッキー・コリンズの小説を読んだことがないので、何を言いたいのか分からない。

 

Jackie Collins (1937-2015) はロンドン生まれの女優兼作家で、ロサンゼルスを本拠にして32冊の小説を書き、そのどれもがベストセラーになったという (Wikipedia [Jackie Collins])。

 

どれもベストセラーになったということは、読者が喜びそうな内容をふんだんに盛り込んだ内容だったからだろう。彼女の第1作目の小説は、オーストラリアや南アフリカでは発禁になった。

 

サリーの叔母ではないが、私もそんな作家など、名前すら知らなかった。

 

そこでサリーが次にエリカ・ジョングの名前を持ち出す。

 

ああ、Erica Jong なら私も目を通す程度に読んだことはある。

 

それも首を振られたサリーは、今度はザヴィエラ・ホランダーの名を持ち出す。

 

Xaviera Hollander (1943-) はオランダ領東インド (彼女が生まれた当時は日本の占領下にあった) に生まれたオランダ人 (それでペンネームを Hollander にしたのだろう) で、両親はユダヤ人とフランス人とドイツ人の血が混じる。

 

やがてアムステルダムから南アフリカへ、それからニューヨークのオランダ公使館の秘書となるも、それを辞めてなったのが高級コールガール (今日のレートに直すと一晩80万円くらいになるらしいから、高級コールガールというより高給コールガールだな)。

 

当然、それも叔母にはなじみがなかったわけで、「そんな小説の話なんかしたいわかじゃないのよ、あなたの生活のことを話してるのよ」 とたしなめられる。

 

 

小説の一場面を紹介しても仕方ないのだが、作家の名前が持ち出されていたので、「読書」 に関することを書く建前だったこのブログにもメモしておこうかと思った次第である。

 

「雑誌」

「雑誌」 という日本語は、おそらく小学生でも知っているだろう。

 

しかし、「雑誌」 という語が、日本に太古からあった ・・・ わけではない。

 

かなり新しい語である。

 

この語の初出は、慶応3年まで遡れるらしい。

 

命名者も分かっている -- 柳河春三(やながわ しゅんさん)という人だ。

 

そんなことを、2008年8月27日、つまり14年前の今日、私が別なブログで書いていたのを発見。

 

 → 「雑誌」という日本語の命名者

ブログに書くネタがないので、こんなことを記してお茶を濁しておく。

 

 

ぶつぶつ

前回は 「暑い」 という、色気のないタイトルにしたのだが、最近は夜は結構涼しくなった。

 

昼間は相変わらず暑いわけだが、夏を楽しまないうちに秋の気配を感じるようで、こころなし寂しくもある。

 

そんなことはどうでもいいのだが、今日の朝刊に出てた広告が少し気になった。

 

歎異抄をひらく』 という本の広告に、

 

 『歎異抄』 には、親鸞聖人と弟子・唯円対話が記されています。

 

という文言があるのを見て、「対話」 という語に違和感を覚えた。

 

「対話」 というと、たとえばプラトンの 「対話」 形式の著作とかを連想するし、あるいは平田篤胤の著作にも問答の形になっているものがあったりする。ガリレオの 『天文対話』 なんてのもある。

 

だけど 『歎異抄』 はそういう形式を取ったものではない。

 

前半は唯円の記憶に残る親鸞さんの発言を記録し、後半は唯円の考えの陳述のような形になっている。

 

どこが 「対話」 やねん?

 

 

Margaret Atwood: The Testaments を何とか読み進めようと努力はしている。

 

読解力、英語力、単語力がないのは分かっている。そういうことを抜きにしても、まるで面白くない。

 

この作品は The Handmaid's Tale の続編なのかな? そちらを読んでいたら、もっと読み方も違っていたろうか。

 

米国の図書館で The Handmaid's Tale が "禁書" 扱いになったという記事を見たことがあるので、続編とはいえ興味があったのだけれど。

 

HardOff で¥520 出して買ってきたものだからと、我慢して読んでいるのだが、開いて読もうとしても、数ページも -- いや、数行も読めば眠くなってしまう。

 

私は女性の書いたものにものには違和感を覚えることがある。すべてそうではないのだが、この作品の場合にはそれが当てはまってしまったのだろうか。

 

 [9/13 追記] 上のようなことを書いたものの、現在も The Testaments を読み続けている。ある程度進んで様子が分かってくれば、それなりに興味もわいてくる。そして、The Handmaid's Tale の続編であるというのも間違いないようだ。

 

 

Ridley Scot 監督の Black Hawk Down という映画だと思うのだが、YouTube にアフリカのソマリアに派遣された米軍兵士の闘いを描いたものがアップされている。

 

すさまじい市街戦の場面なんかもあるが、書物が出てくる場面があるのに気が付いた。

 

ヘリコプターの中で兵士の持っているペーパーバックの表紙がちらりと映る。

 

著者名は John Grisham だとはっきりと見えるが、問題は書名の方。*LIEN* というあたりの文字しか見えない。

 

何だろうなと考えていて、思い当たった。The Client だ! 映画化もされていて、日本語のタイトルは 「目撃者」。

 

私は昔、その映画を見たことがある。後に原作も読んだ。

 

映画が先か原作が先かというと、この作品の場合は、映画の方を先に見ていてよかったと思う。

 

映画は映画で楽しんで、といえるが、映画と原作の内容とは、少し異なるところもあるし、原作の方はいろんな場面が出てくる。

 

YouTube には [映画フル HD ☆最新アクション映画2020日本語字幕] というタイトルで出ていて Black Hawk Down という名前は出されていない。

 

13:03 あたりにその場面が出てくる (興味のある方は上のリンクをクリックしてご覧になられるといいが、戦闘場面などを見たくなければ、少し前くらいから再生して、13:03 のあたりで静止させるといいかも)。

 

 

 

 

暑い

とにかく、読めない。だから、「読書ブログ」 を書いてみようと思って立ち上げたこのブログが、停滞したままである。

 

その言い訳が 「暑い」 なのだ。

 

 

基本的に、「読書」 は夜、床の中でしてる。

 

しかし、毎夜の蒸し暑さ。眠れぬ日々が続けば、頭もボーッとなって、横になって書物を手にしたところで、内容がまるで頭に入ってこない。

 

かといって、すんなり眠れるわけでもない (眠ってしまった時の用心のために、扇風機はタイマーを設定しているのだが、何度も起きてつけなおしている)。

 

 

過去に別なブログに書いたものだが、何年か前の今日に書いたものをたまたま見た。

 

ここにタイトルをクリックしたら飛べるようにしてみよう。

 

 おとこの嘘
 

 

興味をそそられる人がいるかもしれないという下心があって付けたタイトルかどうかは、もう分からないが、内容は、漱石の 『明暗』 についてのものだ。

 

729冊

729冊というのは、2021年に、全米の図書館で禁書にされた本の総数 (1日2冊くらいの割合だな)。

 

この数値は2020年度の倍であり、米国図書館協会 (ALA) が記録を取り始めてから最多であるという。

 

1,597 冊が問題視されて、そのうちの729冊が禁書とされた。

 

そう、米国にはある種の "検閲" が存在するともいえる。ただし、それは公共の図書館や学校の図書館で、自由に閲覧させるにふさわしくないとみなされた、ということ。

 

今月初から、アイオワ州の人口5千人の小さな町の公共図書館が、館長の辞任を受けて閉館していた。

 

その館長は、前の館長が辞任したので後任となったのだが、批判を浴びて、やはり辞任することになった。前の館長と同じように。

 

問題の1つは、LGBTQ 関連の書籍の扱い。図書館に置くことを是認するか否か、だ。

 

 

* 関連記事はいくつかあるが、今日見たのは USA Today の下記の記事である。

 

 

こういうことは意外とむずかしい。

 

学校の図書館にポルノはふさわしくないだろうが、では宗教がからんだ書籍はどうするか。特定の教団の人間が書いたものはすべて排除すべきなのかどうか。あるいは特定の政治的な立場からの主張を盛り込んだ本だったら、どうするか。まぁ、排除された本はそもそも目につかないのだから、その図書館にどういう意図があったのかということは分からないわけだけれど。

 

市民全般が対象である公共の図書館となると、確かにむつかしい。誰かが管理し、誰かが認可したり禁じたりしなければならないわけだし ・・・

 

縦書きタイトル

ちょっと珍しいなと思った。アルファベットの書名なのに、縦書きなのである。


これは、米国の女性作家でジャーナリストの Nora Waln (1895-1964) という人の著書の1冊。

 

www.gutenberg.org

 

著者は、1920年に中国に行き、12年間滞在して、そこで出会った英国人と結婚もしている。

 

縦書きにしたのは、舞台が中国で、中国語は原則的に縦書きであったので、それを模倣したのだろう。

 

* 上の画像では、表紙の下の方が切れている。横書きだったら素直に画面に入ったかもしれないが、縦書きなので入らなかったものとみえる (ここでは縦長の書籍の上半分しか見えていないが、本当はもちろん全部入っている)。