やっと通読完了

本がまるで読めないちうか、通読することがしばらく続いていたが、やっと2冊ほど通読できた。

 

ただし、予定を大幅に上回る4週間を要した。

 

その2冊とは

 

 ジャン= ルイ・ド・ランビュール『作家の仕事部屋』(岩崎力・訳、中公文庫、2023

 キャスリン・ペトラス&ロス・ペトラス『人体ヒストリア』(向井和美・訳、日経ナショナル ジオグラフィック、2023

 

である。

 

どちらも市の図書館の新着書のコーナーにあった本だ。

 

もう少しゆとりがあれば、メモくらい取りたかったところだが、ほとんど寝床の中で眠りが訪れるまでの時間に読んでいたのだし、とにもかくにも何とか 通読 してやろうという思いで読んでたのであり、おまけにもう返却期限になってしまったので、そんな余裕はなくなった。

 

でも、久しぶりに通読できたのはうれしい。これで勢いを取り戻せるだろうか。

 

寡読の日々

最近 ・・・ というか、近頃は ・・・ というか、読書量がガタガタに減ってしまった。

 

特に意識したのは夏頃から。

 

大体が寝床で読むことが多くなっていたのだが、それが、数ページどころか数行読むと眠くなってスタンドを消して眠りに入ったりすることが多くなった。

 

年のせい? それを言うなよ。

 

まぁ、とにかく読書量がめっきり落ちてしまって、このブログに書くようなこともほとんどない有様。

 

たまには何か書いてみるかというので、こうしてキーボードを叩いてはいるのだが ・・・

 

最近(寝床で)読んでるのはジャン・ルイ・ド・ランビュールというジャーナリストが、幾人かのフランスの作家にインタビューをしてまとめた『作家の仕事部屋』(岩崎

力・訳、中公文庫、2023)。

 

なじみのない作家が多いが、名前だけは知ってるのはバルトとかビュトールとかル・クレジオとか、レヴィ・ストロースとかマンディアルグとかF・サガンとかN・サロートとか、まぁ、そんなところかな。(バルトやレヴィ・ストロースは、日本的な感覚では "作家" というのとは違う気がする。原題に écrivains と入っているように、必ずしも "作家" が対象というわけではなくて、"著述家" みたいなものかもしれない)。

 

でも、読んでて、何を言ってるのか理解出来なかったり、すごい発言とかあるのかなという期待が裏切られたり、ではある。

 

でも、執筆方法が各人で異なっていたりするのは面白い。

 

何度も書き直す派にマンディアルグもいて、

 

 望ましい完成度に達するまで、何度でも書き直します。

 

と述べている。

 

作家の生原稿を有難がって収集するような人たちもいるわけだが、彼に言わせれば、完成稿に至るまでの原稿はいくらでもあるという。面白いことに

 

 エリュアールやブルトンもバンジャマン・ペレも自分たちの原稿を四回は書き写していました。

 

という。何のことはない、売却して金にするためだ。

 

シュールレアリストなんてのは、霊感に感じたかのように、一気呵成に書き上げるものかと思いきや、本当は何度も書き直しているのかもしれない。

 

 

もう少し面白い話もあったかもしれないが、こちらは久しぶりに書くので、お茶を濁す程度に書いておく。

 

 

「知く」

牧野富太郎『我が植物愛の記』(河出文庫、2022)の「飛蓬すなわち転蓬となる蓬7」という文章の中に

 

 この胡砂を吹く風は大陸的なものであればまことに強烈でだだに草のみならず雲の知く砂塵をも揚ぐることであろうことが想像に難くない。

 

という文があった。

 

この文における「知く」という文字に疑問を抱いた。

 

これって、「如く」のことではないのかな?

 

ネットの辞典を見てみたが、「知く」は「如く」と同じことだという記述は見当たらなかった (探し方がまずかったのなら話は別であるが)。

 

もしかして「如く」の誤植では? と思った。

 

仮に誤植だったのであれば、なぜ、文庫本に収録するに際して、訂正しなかったのだろう?

 

誤植などではなく、ちゃんと読み方があるからか? 私などには分からないから、それならそうと、フリガナを付けて欲しい。

 

 

 

 

 

* 別に書いてるブログで、やはりこの本からの引用をしたものを書いた。→ [マコとアヤメ]

 

過去の読了書記録から (8) - 2006年6月~12月

前回 [過去の読了書記録から (7) - 2006年1月~6月] をアップしたのは、去年の9月20日

 

えらく間があいたもんだが、その続き。

 

 

 

・07/01 高橋いさを オリジナル・パラダイス (論創社、2006)
・07/03 高橋昌一郎 ゲーデルの哲学  不完全性定理と神の存在論 (講談社新書)
・07/07 久住昌之(原作)・谷口ジロー(作画) 孤独のグルメ (扶桑社、2000)
・07/08 井上靖ほか28名 読書と私 (文春文庫)
・07/09 堀内勲 赤ちゃんはスリッパの裏をなめても平気 (ダイヤモンド社、2002)
・07/16 太田龍 長州の天皇征伐 (成甲書房、2005)
・07/19 ジーン・ウルフ デス博士の島その他の物語 (朝倉久志/伊藤典夫/柳下毅一郎・訳、国書刊行会、2006)
・07/25 Nick Hornby How to be Good (Penguin Books、2001)
・07/28 Louis Sachar Holes (Dell Laurel-Leaf、2003)
・08/01 ジェイムズ・モートン わが名はヴィドック (栗山節子・訳、東洋書林、2006)
・08/02 片野善一郎 数学を愛した作家たち (新潮社、2006)
・08/03 笙野頼子 絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男 (河出書房新社、2006)
・08/06 Alex Shearer The Stolen (Macmillan Childen's Books、2002)
・08/07 ロドルフ・カッセル他 原典 ユダの福音書 (日経ナショナル・ジオグラフィック社、2006)
・08/08 日本雑学研究会 大雑学[7] 世界の秘密結社 (毎日新聞社、2005)
・08/11 篠田達朗 歴代天皇のカルテ (新潮社、2006)
・08/13 八杉康夫 戦艦大和 最後の乗組員の遺言 (WAC、2005)
・08/13 鈴木輝一郎 信長が宿敵 本願寺顕如 (毎日新聞社、2005)
・08/17 大前研一 日本の真実 (小学館、2004)
・08/17 永井義男 中山道 算学奇談 (幻冬社、1998;)
・08/21 夏目漱石 三四郎 (角川文庫)
・08/22 Darren Shan Cirque du Freak (HarperCollins、2000)
・08/23 出久根達郎 本を旅する (河出書房新社、2006)
・08/25 竹内久美子 小さな悪魔の背中の窪み (新潮社、1999)
・08/29 佐藤文隆 孤独になったアインシュタイン (岩波書店、2004)
・09/01 M. ホワイト & J. グリビン スティーヴン・ホーキング  天才科学者の光と影 (林一/鈴木圭子・訳、早川書房、1992)
・09/03 湯浅顕人 ウィニー  情報流出との闘い (宝島社、2006)
・09/04 高木光太郎 証言の心理学 (中央公論新社、2006)
・09/05 合田正人 サルトル『むかつき』 ニートという冒険 (みすず書房、2006)
・09/07 角田房子 閔妃暗殺 (中公文庫)
・09/09 アリー・ケンネン ビースト (羽地和世・訳、早川書房、2006)
・09/19 ジョシュア・ギルダー & アン-リー・ギルダー ケプラー疑惑  ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録 (山越幸江・訳、地人書館、2006)
・09/21 村上満 麦酒伝来  森鴎外とドイツビール (創元社、2006)
・09/24 夫馬基彦 按摩西遊記 (講談社、2006)
・09/28 ウィル・セルフ 元気なぼくらの元気なおもちゃ (安原和見・訳、河出書房新社、2006)

・10/01 谷崎潤一郎 & 渡辺千萬子 谷崎潤一郎 渡辺千萬子 往復書簡 (中央公論新社、2006)
・10/02 御厨貴 ニヒリズムの宰相 小泉純一郎 (PHP研究所、2006)
・10/05 平山夢明 独白するユニバーサル横メルカトル  平山夢明短編集 (光文社、2006)
・10/07 宮元啓一/石飛道子 ビックリ! インド人の頭の中  超論理思考を読む (講談社、2003)
・10/13 デイヴィッド・リヴィングソトン・スミス うそつきの進化論 無意識にだまそうとする心(三宅真砂子・訳、日本放送出版協会、2006)
・10/22 サイモン・シン フェルマーの最終定理 (青木薫・訳、新潮社、2006)
・10/24 ハリエット・スコット・チェスマン わたしの知らない母 (原田勝・訳、白水社、2006)
・10/26 ハル・ヤマダ 喋るアメリカ人 聴く日本人 (須藤昌子・訳、成甲書房、2003)
・10/30 カレル・ヴァン・ウォルフレン もう一つの鎖国  日本は世界で孤立する (;井上実・訳、角川書店、2006)
・11/03 高橋五郎 スパイ"ベラスコ"が見た広島原爆の正体  嵌められた日本と世界を支配する見えざる帝国 (学習研究社、2006)
・11/05 奥島貞雄 自民党総裁  権力に憑かれた亡者たち (中央公論新社、2006)
・11/13 竹内薫 + SANAMI シュレディンガーの哲学する猫 (徳間書店、1998)
・11/20 アーサー・ビナード 日本語ぽこりぽこり (小学館、2005)
・11/21 リオノ・フライシャー ザ・インターネット (大野晶子・訳、ソニー・マガジンズ、1996)
・12/04 アレン・ネルソン 戦場で心が壊れて  元海兵隊員の証言 (新日本出版社、2006)
・12/12 保坂和志 小説の誕生 (新潮社、2006)
・12/16 Alex Shearer The Speed of the Dark (Macmillan Children's Books、2003)

 

 

1冊づつ振り返ってみたいところだが、何しろ17年も経ってるんだから、そりゃ無理。

 

このリストには入ってないが、陳丹燕『上海のプリンセス』 (光文社, 2003) という本を借りてきたという記録がある。だが、読み終えたという記録がない。読み終えるだけの時間がなかったのか、記録するのを忘れたのか、それとも読む価値がないと判断して読むのを放棄したのか。

 

この頃はそれなりに読書してたみたいだ。今は逆立ちしても無理だけど。

 

だけど、内容はまるで思い出せない本がいくつもある。それはそれで構わないのだが。

 

Nick Hornby の小説は、初めて読んだのが Of a Boy で、次が High Fidelity で、How to be Good で3冊目だったようだ。いずれも市の図書館にあったのである。

 

Louis Sachar: Holes は、映画もあるはずで、その原作なのか、それとも映画をノベライズしたものかは知らないが、読みやすくて楽しめたことが記憶にある。

 

笙野頼子の小説は、初めて読んだ。「何だ、こりゃ?」と思ったに違いない。

 

Alex Shearer: The Stolen は、ヤングアダルト小説。上に出した Holes もそうだが、英語の小説というものを読んでみたいと思っている人にお薦めできる気がする (という私も英語の初級レベルの者で、そこから上には行けそうもないのに、エラそうに「薦める」なんて書くのは気が引けるけれども、そんな私でさえ楽しめたのだ)。

 

Shearer の小説は The Speed of the Dark も読んだ。これも図書館にあったので。

 

読了記録を見ると、アリー・ケンネン『ビースト』を読んで気に入ったようだ。しかし、内容は全く思い出せない。

 

 

やっと読了

暑い。そのせいばかりでもなかろうが、ここに書くのもご無沙汰だ。

 

読めないからである。何も読まなければ、読んだ本について書きようがない。

 

それでも、先月の28日に、T・ジェファーソン・パーカー『渇き』(渋谷比佐子・訳、講談社文庫、1998)を読了したことは、私的な「読了記録」の末尾に記録した。

 

文庫本とはいえ600ページを超えるもので、一気に読み終えてしまうには長い。実際には2か月近くもかかったという可能性がある。こんなに鈍い読み方は、ほとんど記憶がない。

 

丁寧に読んだから、というのではなく、単に読めなかったからだ。

 

夜、寝床に入ってから読むのだが、数行読むと眠気がさしてくる。そのまま眠るかと思えば、それも出来ない。何しろ暑くて、頭もまともに働かないのだ。

 

眠れなくても、頭がぼおっとしていて、文字を見続けることができない。だから、ひと晩に読み進んだのは数行という日もある。

 

考えようによっては、ゆっくり読めたといえなくもない。

 

連続もののテレビ・ドラマかなんぞを見ているようで、少しづつ展開していく。

 

夢中になって読むという感じではない。ただ展開を見ているだけみたいな。

 

そうまでして、とにかく読み終えたのだ。ま、何か読むものを持って寝床に入るのが常だから、材料があったのは良かった。

 

 

図書館にもしばらく足を向けていない。

 

暑いというより焦げてしまいそうなので、なかなか出向けないでいる。

 

何か借りてくれば、また読書欲が復活しないものでもないとは思うのだが ・・・

 

M・クンデラ死す

久しぶりに新聞を見てたら、社会面に 「M・クンデラ氏死去」 とあるのを見つけた。

 

チェコの作家で、民主化運動とかかわりを持った人。

 

ソ連軍のチェコ侵攻なんて、若い人は知らない可能性もある。

 

クンデラの作品は発禁になり、クンデラはフランスに亡命した。

 

読了記録ファイルを検索してみると、私は 『存在の耐えられない軽さ』 を、2008年に読んでいる。

 

ただし、単に通読しただけ。

 

あの作品に政治的な要素が含まれていたかどうか、思い出せない。

 

癌にかかった犬を安楽死させる前にチョコレートを食べさせてた場面があったということとか、その犬の名前がトルストイの 『アンナ・カレーニナ』 にちなんだものだったとか、そんなことはかすかに覚えてはいるのだが。