難癖

バーナード・マラマッドという米国の作家がいた。日本でも名前が知れている作家だろう。

 

そのマラマッドの生前の最後の作品らしいが、その翻訳を借りてきて読もうとして、書き出しの部分を読んだところで引っ掛かるものを覚えてしまった。

 

こういう文である:

 

 レサーは、さみしい鏡のなかの自分の姿をチラッと見ながら

 

引っ掛かったのは、おそらく 「さみしい鏡のなかの自分の姿」 という部分だろう。

 

文意を取るために読み返さなければならなかった。

 

「さみしい鏡」 とある。形容詞 + 名詞 として、文の流れに沿って読むのが普通だろう。

 

「さみしい鏡」 というのが出てくるファンタジーなのか? と勘違いしてしまいそう。

 

実際には 「さみしい」 のは自分の姿なのだ。

 

それなら、「鏡の中の、さみしい自分の姿」 くらいにした方が、日本語として素直に文意を取りやすいのではあるまいか。

 

想像するに、訳者は、原文の単語の並びのままに、それぞれの語を日本語に置き換えて翻訳文としているのではないかと思われる。

 

その不自然さが、読み進めていくにつれて次々と目について、それが気になって読むことを楽しめない。

 

これは困った。せっかく期待してたのに。

 

ついでにいえば、「チラッと見ながら」 というのも違和感がある。

 

「チラッと」 は瞬間的な動作を表していると取っていいと思うのだが、「見ながら」 と続く。

 

「見ながら」 というからには、見るという動作を継続させながら何かをしているのだろう。しかし 「チラッと」 見るのは瞬間的なものだ。矛盾する表現ではなかろうか。

 

作中のその人物は、眼を覚ましたところである。そうして目を開けたら鏡の中の自分の姿が目に入った。

 

そのまま自分の姿に見入っていたわけでないから、時間としてはほんのちょっとの間のことだろう。

 

原文の単語の並びからは離れて、「目覚めた時、鏡の中の、しがない自分の姿が目に入った。レサーは、書きかけの作品を何としても書き上げなければならないという気持ちを新たにした」 とか、何かしらの工夫があってもいいんじゃなかろうか。

 

翻訳は原文ではない。だから翻訳なのだ。日本語で読めるから翻訳で読むのだ。原文の単語の並びの通りに訳されているものを読みたいわけじゃない。

 

 

もっと書いてもいいのだが、1つのページだけでも何箇所も、私には不自然に感じられるところがあって、それをいちいち引用して示すのもいかがなものかと思うので、そんな真似はよしておく。

 

翻訳は、訳者の日本語を読むわけだから、その日本語の文章が肌に合うのと合わないのがあるのは仕方がないともいえるけれども。

 

 

 

 

 

テナント

テナント