Google のバナーというのかアイコンというのか、検索窓の上に絵が表示されることがある。
9月1日のそれは女の人で、周りに書物が積まれていて ・・・
樋口一葉かとも思ったが、どうも違う。
幸田文さんは、日本人の中でも稀有な存在だったというイメージがある。
彼女その人が文化財みたいな人。
エッセイストの走りと見れないでもないが、なにか違う。
彼女は自分が モノカキ だとは思っていなかったろう。
次々と依頼されて、断りきれずに引き受けて、でも締切りの間近になって全く原稿が出来てなくて、迷惑をかけてはいけないと何とか書き上げて渡すということを繰り返していた。
およそプロらしくない。
本人は、自分は作家でもなければモノカキでもないのだと自覚していた。
そして、後には断筆宣言を出すのである。
彼女にとって、彼女の父親は確かに 作家 ではあったろう。
超個性的というか、並の父親とは違う父親を持ち、その特殊であるのは作家なるがゆえであったと納得していたのかもしれない。
そうでなければ、あのような父親を認めることが出来ただろうか。
その父親がまた、幸田文という独特な女性を形成した。
彼女には父親のような、湧き出るがごとき発想はなかったろう。
だから彼女は作家にはならなかったし、なれもしなかった。
本人が一番わかっていたことだろう。
それでも彼女は彼女の文章を書き残してくれた。
作家の書いた文章とは違うが、読む者にガツンとくらわせるような、ある種のパワーがある。