村井弦斎の 『食道楽』 を、ぼちぼち読んでるのだが、まさに牛歩のごとしで、進まざること何とかのごとしだ。
たしかに上・下巻のそれzそれが500ページくらいあるから、合わせれば千ページということになる。
私が読んでるのは、それなりに分厚い印象の岩波文庫版だ。
が、それにしてものろい。
夜、寝床の中でページをめくって数パージを進むというテンポでは、仕方のないことなのかもしれないけれど。
内容は料理本のごとし。ただし、本当は小説である。
というか、小説仕立てと言った方がいいかも。
いちおうのストーリーはある。
今のところは、大原という青年の嫁取り談の体裁だ。
若い青年が学資の援助を受けてめでたく大学を卒業。
その男は、博士を狙うところまできている。
しかし、藤尾という妙齢の女性と親しくなってしまう。
彼を書生として置いて面倒をみてくれた父娘がいて、その娘は自分は将来はその男の嫁になるのだと思い込んでいた。
きっちりと契約のようなものを結んでいたわけではないが、流れとして、そうなるものと思っていたのに、東京の男からは何もそれらしきことを言ってこない。
その状況は、『食道楽』 の大原の状況に似ている。
大原は故郷 (おそらく岩手県) の本家の方の娘を嫁にとることが、本家との間で決められているのではないかと察知。
彼の家は分家にあたるのだ。
そこで、用心して卒業しても里帰りはしていない。
何とかこちら (東京) で嫁を見つけてしまえば、田舎のその娘を嫁にもらわずにすむと考えた。
そこで友人に世話を依頼するなどしてみると、ちょうどいい娘がいたのである。
その娘に会ってみて、料理の手並みに感動して、嫁に欲しいと申し込む。
ところが実家の親が承知しない。父親はともかく、母親は本家の出であるので、どこの馬の骨ともしれない東京の女なぞといっしょになるなど、絶対に認めないと気色ばむ。
『虞美人草』 でも、父娘が上京するが、男の態度に失望させられ、娘は悲嘆にくれるのである。
どちらも明治の作家の作品で、設定に似たところがあるのが面白い。
ただし、作品としての質は、漱石の方は文学作品であるといえるのに対して、『食道楽』 の方は読み物でしかない。
それでも、読み物なりの面白さはある。