訳文が気になる

大本泉さんの本を通読したので、トマス・エンゲル 『瘢痕』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読み始める。

 

初めの方は、どうもすんなり読めない。北欧ミステリの作品では、こんな感じの出だしのものもあったような気はするが。

 

まだ、ほとんど読み進んでいないので、感想までもいかない。

 

p28 に

 

 ヘニングはコーヒーを愛している。

 

とあった。

 

コーヒーという名の女性のことならともかく、コーヒーという飲物について 「愛している」 とするのは如何なものだろう。

 

英語の love という動詞には、「好む」 とか 「好ましく思っている」 という意味があるけれど、それをそのまま 「愛している」 と日本語に持ち込むのは、どんなものか。

 

「ヘニングはコーヒーの愛飲家だ」 とか 「ヘニングはコーヒーを愛飲している」 くらいならともかく、「愛している」 なんて、日本語として、違和感を覚える。

 

 

図書館へ

前回、久しぶりに市の図書館に足を向けてからもう2週間。

 

天気もよし、運動がてら、ぶらぶらと歩いて行ってみた。

 

前に借りた本を返し、館内をぶらぶら。

 

 

前回、大木泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書、2014)を借りてきて通読したのであったが、同じ場所で今度は『名作の食卓』(角川学芸ブックス、2005)という本に目がいった。

 

ありゃ、また同じ著者、大木泉の著書じゃないか。

 

こうなりゃ、これも読んじまうか、ということで借りてきた。

 

 

それから、海外文学のコーナーを歩いてて、"文学" というのが適当かどうか疑問だが、トマス・エンゲル『瘢痕』(早川書房、2014)という文庫本に目がいった。

 

著者名からすると、ゲルマン系っぽい。

 

手に取ってみると 「著者紹介」 に "1973年オスロ生まれ" とあるのを見て、「これも借りて帰ろう」 と思ってしまった。

 

北欧ミステリを何冊か読んだことがあるので、北欧関係なら出来るだけ読んでみたいという気はある。

 

ただ、かなり分厚い文庫本なので、読み通せるかどうかが問題。

 

 

日本の時代小説など、借りて帰りたかったものもあったが、今の私の読書速度では、限られた日数で読み通せない可能性が大なので、とりあえず2冊だけにして、この2冊だけは消化した上で、次回に借りる時に考えようと思った。

 

ところが、予定外ではあるが、無料で図書の持ち帰りの出来るコーナーが、入り口の外、エレベーターに近い場所にあって、「おひとり様20冊まで」 とあるではないか。

 

タダで持ち帰って読んで下さいとは、何たるサービス! なぜ蔵書として置いておかないのかは分からないが、それらの本は処分したいらしい。

 

いい本は既に持ち帰られた可能性はあるが、それでも、何となく手に取って、3冊の文庫本を頂戴することにした。

 

 T・ジェファーソン・パーカー『渇き』(講談社文庫、1998)

 ジェイソン・コーゾル『ドル大暴落の日』(講談社文庫、1992)

 レイモンド・チャンドラーさらば愛しき女よ』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1995)

 

いずれも1990年代に出た本ということになる。そういうのは、もう "古い" ということなのだろうか。

 

暇つぶしに読むのなら、そういうのもいい。他にも手にしてみた本はあったのだが、借りた本と合わせるともう5冊抱えているし、駅まで歩いていくことを考えると、それ以上に欲張るのは遠慮した。

 

 

もう家には、なるべく蔵書を置きたくないのだ。Hard-Off の本だとて、出来れば安易に蔵書にしたくはない。金の問題というより、本が増えすぎてしまうのが心配なのである。

 

まして、暇つぶしで読む程度の本なら、出来れば図書館で借りてすませたい。

 

ああ、それなのに ・・・

 

 

もちろん、これから読むのは図書館から借りてきたものから。

 

"お持ち帰り" 本は、「いつか読もう」 ということで "積読" 本になる可能性もあり。

 

芥川の好物

大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書、2014)に、芥川龍之介の好物の話があった。こんな一節がある:

 

芥川は、あまり食事にこだわりがなかったようだ。ただし、

 

 主人は鰤の照焼が大好物で、それさえあれば他には何にもいらないというほどでした。

 

と、これは芥川の夫人の文さんの回想である。

 

そして、苦手だったのは "ねばねばした「とろろ」" だったという。

 

食物ではないが、芥川はヘビースモーカーであったようだ。

 

 芥川が亡くなる直前のことだが、佐藤春夫があった一晩のうちに、芥川は敷島という煙草を180本近く吸ったという。

 

とある。

 

芥川の「蜜柑」という作品は有名だが、

 

 芥川は酸味のある蜜柑が嫌いだった。

 

というのだから面白い。

 

概して果物は好きだったようで、"柿、乾葡萄、龍眼肉、バナナ" などと、"殊に無花果" を好んだという。

 

「龍眼肉」とはどんなものか知らないが、Wikipedia [リュウガン] を見ると

 

 ムクロジムクロジ属の常緑小高木またはその果実。

 

とあった。

 

食物の嗜好は甘党の方であったらしく、和菓子を好んだという。

 

 

* 他の作家の食に対する話題ももちろん出てくるのだが、本の返却期限が来ているので、あれこれメモするゆとりがない。今回はとりあえず芥川の例だけにとどめておく。

 

 

 

読了メモ (22/10/25)

前回の 「読了メモ」 が5月くらいだったか。

 

あれ以降に読んだ本はあるが、いちいちメモしなかった。

 

今頃になって ・・・ だが、わりと最近に読んだものをメモしてみる。

 

えっと ・・・ 7月の終わりにレチフ・ド・ラ・ブルトンヌの『パリの夜』を読んだ後の記録。

 

その後、何を読んでたのかの記録がないが、9月に、Margaret Atwood の The Testaments は、結局、読み通した。

感想は、今はまだ (今となっては?) 述べる気がしない。

 

同じ月に、読みかけたまま放り出していた Freya North の Sally も読み終えたのだが、これも、今となって、特に書く気はしない。

 

そして10月に入って、これは HardOff で¥110 で購入した本であるが、小鷹信光翻訳という仕事』(ちくま文庫、2001) を読んだ。

これは、買って良かった本といえる。

 

読んでる時にはいろいろと刺激を受けたが、今はあれこれと書かないでおこう。

 

 

その後が、最近になってやっと行った市の図書館から借りた本で、大本泉の『作家のごりそう帖』(平凡社新書、2014) で、なかなか興味深いものがあった。

 

そして、山口瞳の『行きつけの店』(新潮文庫、2009 [2000]) を読んだのだが、重松清の 「解説」 に感心。

なるほど、作家となると、こんなふうな読み方をするのか、と思った。

 

 

今のところは、そんな具合。沢木耕一郎『檀』をそろそろ読みたいところだが、図書館から借りてきた本の中の1冊である杉浦日向子さんの本(『江戸を愛して愛されて』 河出書房新書、2016)を読まねばならぬ。

 

とはいえ、明日が返却日なので、読み通せないまま、このまま返してしまうかもしれない。また改めて借りることもできるわけだから、とりあえず返却して、いつか、また改めて借りて読むということになるかもしれない。

 

うまいもの食ってるなぁ

山口瞳『行きつけの店』(新潮文庫, 2009 [2000])の中に、こんな一節があったので、書き写してみる。

 

 皆美館は、古来、ラフカディオ・ヘルン、島崎藤村に愛され親しまれた旅館である。田山花袋与謝野鉄幹・晶子夫妻、志賀直哉もよく泊っていったそうだ。

 

皆美館は みなみかん と読むらしい。島根県は松江の宍道湖に面した宿屋である。

 

山口瞳は、そこの食堂の料理の中でも

 

 とりわけ皆美館だけに伝わるという鯛めしが好きだ。

 

と書いている。

 

 

読書関連ブログとして書いているので、作家の名前がいくつか出てきたのをメモしてみた。

 

 

 

 

 

* ちなみに、よそのブログで恐縮だが、この本を読んでて、こんなものも書いた。→ 「咫尺」

 

 

 

久しぶりに図書館へ

朝と夜は別にすれば、日中は陽ざしがあって、暖かいといってもよい天気だった。

 

いつが最後だったか思い出せないが、久しぶりに市の図書館に行ってみた。

 

長居をするつもりはなく ・・・ というか、コロナ以前は夜の9時くらいまで開いてたような気がするが、今は午後7時で閉館となるのだから、ざっと回って、借りて帰ろうかなと思う本だけを見る程度。

 

久しぶりではあるし、先日ハードオフで買った文庫本2冊も、まだ読みかけである。

 

重量級の本は避けて、とりあえず軽く読めそうな本を探した。

 

ここでは書名だけをメモしておく。

 

 大本泉 『作家のごちそう帖』 (平凡社新書、2014)

 山口瞳 『行きつけの店』 (新潮文庫、2009 [2000])

 杉浦日向子 『江戸を愛して愛されて』 (河出書房新社、2016)

 

杉浦日向子さんの本は、過去に何冊か読んでいる。他は、山口瞳のような知名度の高い著者も含めて、読んだことのない著者のもの。

 

食べ物関連が2冊と杉浦さんの 「江戸」 もの。

 

「ひと呼吸つく」

昨日、市内の小さな Book・Off に出かけて、文庫本を2冊買ってきた。

 

本を買うのは久しぶり。金額は¥110 x 2 である。漱石の鏡子夫人の回想記である 『漱石の思い出』 にも手が伸びたが、¥110 ではなくて数百円だったので、またの機会にでも、と断念。

 

買ったのは沢木耕太郎 『檀』 (新潮文庫、2011 [2000]) と小鷹信光 『翻訳という仕事』 (ちくま文庫、 2001) の2冊。

 

前者は、何年か前に広告か何かを見て興味を覚えたが、そのままになっていた本。後者は、名前は知っている翻訳者だし、翻訳に興味がないでもないので買ってみた。

 

夜、例によって寝床の中で、とりあえず後者の方から先に読み始めたのだが、50ページも進まぬうちに睡魔に降伏。

 

ただ、2か所ほど、国語辞典を引いてみたいなと思う表現があったのだが、今パラパラと見ても見つからない。

 

代りに、

 

 最終章にとりかかる前にひと呼吸つき・・・

 

という文が目に入った。

 

「ひと呼吸 つく」?

 

「ひと呼吸 置く」 という方が普通ではなかろうか、と思った。

 

ネットの国語辞典を見た限りでは、「ひと呼吸」 は 「置く」 もののようだ。

 

おそらく、「ひと息 つく」 という言い方があるために、それと混同してしまったのではあるまいか。

 

などと、生意気なことを考えた。