久しぶりに図書館へ

朝と夜は別にすれば、日中は陽ざしがあって、暖かいといってもよい天気だった。

 

いつが最後だったか思い出せないが、久しぶりに市の図書館に行ってみた。

 

長居をするつもりはなく ・・・ というか、コロナ以前は夜の9時くらいまで開いてたような気がするが、今は午後7時で閉館となるのだから、ざっと回って、借りて帰ろうかなと思う本だけを見る程度。

 

久しぶりではあるし、先日ハードオフで買った文庫本2冊も、まだ読みかけである。

 

重量級の本は避けて、とりあえず軽く読めそうな本を探した。

 

ここでは書名だけをメモしておく。

 

 大本泉 『作家のごちそう帖』 (平凡社新書、2014)

 山口瞳 『行きつけの店』 (新潮文庫、2009 [2000])

 杉浦日向子 『江戸を愛して愛されて』 (河出書房新社、2016)

 

杉浦日向子さんの本は、過去に何冊か読んでいる。他は、山口瞳のような知名度の高い著者も含めて、読んだことのない著者のもの。

 

食べ物関連が2冊と杉浦さんの 「江戸」 もの。

 

「ひと呼吸つく」

昨日、市内の小さな Book・Off に出かけて、文庫本を2冊買ってきた。

 

本を買うのは久しぶり。金額は¥110 x 2 である。漱石の鏡子夫人の回想記である 『漱石の思い出』 にも手が伸びたが、¥110 ではなくて数百円だったので、またの機会にでも、と断念。

 

買ったのは沢木耕太郎 『檀』 (新潮文庫、2011 [2000]) と小鷹信光 『翻訳という仕事』 (ちくま文庫、 2001) の2冊。

 

前者は、何年か前に広告か何かを見て興味を覚えたが、そのままになっていた本。後者は、名前は知っている翻訳者だし、翻訳に興味がないでもないので買ってみた。

 

夜、例によって寝床の中で、とりあえず後者の方から先に読み始めたのだが、50ページも進まぬうちに睡魔に降伏。

 

ただ、2か所ほど、国語辞典を引いてみたいなと思う表現があったのだが、今パラパラと見ても見つからない。

 

代りに、

 

 最終章にとりかかる前にひと呼吸つき・・・

 

という文が目に入った。

 

「ひと呼吸 つく」?

 

「ひと呼吸 置く」 という方が普通ではなかろうか、と思った。

 

ネットの国語辞典を見た限りでは、「ひと呼吸」 は 「置く」 もののようだ。

 

おそらく、「ひと息 つく」 という言い方があるために、それと混同してしまったのではあるまいか。

 

などと、生意気なことを考えた。

 

 

 

 

長い名前

"ハンガリー出身のイギリスで活躍した小説家" の バロネス・オリツィ (1865-1947) の本名は 

 

 エマースカ・マグダレナ・ロザリア・マリア・ホセファ・バルバラオルツィ・バーストウ

 

だそう。アルファベット表記だと

 

 Emmuska Magdalena Rosalia Maria Josefa Barbara Orczy Barstow

 

だそうだが、いずれにせよ、かなり長~い。

 

* 引用・参照は Wikipedia [バロネス・オリツィ] の項による。

 

犬の欠伸

欠伸と書いてアクビと読む。なるほど、背伸びしたくなるかも。

 

岡田斗司夫自由学園という学校で講演した時の様子を動画にしたものを見てたら、背伸びをする場面があった。

 

そこで岡田は犬のアクビのことに言及している (12分くらのところ)。

 

犬のアクビは眠いからやるのではないというのを聞いて、かつてスタンレー・コレン著『犬語の話し方』(文春文庫、2002) を読んだ (通読した) 時に、そのことに触れている箇所があったということを思い出した。

 

ま、そんなメモ。

 

youtu.be

過去の読了書記録から (7) - 2006年1月~6月

この 「過去の読了書記録から」 というのを、最近は出してなかったな。久しぶりに出してみよう。

 

2006/01/04 M・ハーシュ・ゴールドバーグ 世界ウソ読本
2006/01/13 Tracy Chevalier Girl with a Pearl Earring
2006/01/16 松岡美樹 ニッポンの挑戦 インターネットの夜明け
2006/01/17 中島らも 今夜、すべてのバーで 講談社、1994

2006/02/14 島田雅彦 漱石を書く 岩波書店、1993
2006/02/21 コリン・ウィルソン コリン・ウィルソンのすべて(上・下) (中村保男/訳) 河出書房新社、2005
2006/02/21 リチャード・フッカー マッシュ 角川文庫
2006/02/02 ジャック・ロンドン 白い牙 新潮文庫
2006/02/24 安部和重 ニッポニアニッポン 新潮社、2001
2006/02/24 デーヴァ・ソベル 経度への挑戦 -- 1秒にかけた4百年 (藤井留美/訳) 翔泳社、1997
2006/02/27 塩野七生 男の肖像 新潮文庫
2006/03/02 グレアム・グリーン 第三の男 落ちた偶像 負けた者がみな貰う [グレアム・グリーン全集-11] 新潮社
2006/03/04 村上春樹 意味がなければスイングはない 文藝春秋、2005
2006/03/09 早乙女貢 ばさらい奴
2006/03/12 海野弘 陰謀の世界史 文藝春秋、2006
2006/03/12 W.G.ゼーバルト 目眩まし [ゼーバルト・コレクション] (鈴木仁子/訳) 白水社、2005
2006/03/19 ハンプトン・サイズ ゴースト・ソルジャーズ -- 第二次世界大戦最大の捕虜救出作戦 (山本充伸/訳) 光文社、2003
2006/03/21 ジェイムズ・グリック ニュートンの海 -- 万物の真理を求めて (大貫昌子/訳) NHK出版、2005
2006/03/23 小林標 ラテン語の世界 中央公論新社、2006
2006/03/29 フラン・オブライエン ハードライフ (大澤正佳/訳) 国書刊行会、2005
2006/04/06 村上春樹 ランゲルハンス島の午後 新潮社、1993
2006/04/07 群ようこ またたび回覧板 新潮社、1999
2006/04/09 沢木耕太郎 地の漂流者たち 文藝春秋、1992

2006/04/13 マックス・リューティ 昔話の解釈 -- 今でもやっぱり生きている 筑摩文庫
2006/05/07 ジェフリー・S・ヤング スティーブ・ジョブズ -- パーソナル・コンピュータを創った男 - [上][下] (日暮雅通/訳) ICC出版局、1989
2006/05/10 辻井重男 暗号と情報社会 中公新書
2006/05/14 萩野貞樹 旧かなを楽しむ -- 和歌・俳句がもっと面白くなる リヨン社、2003
2006/05/16 ジョン-アレン・プライス レッド・デルタ浮上す
2006/05/21 三好徹 外套と短剣 集英社文庫
2006/05/31 谷崎潤一郎 文章読本 中公文庫
2006/06/17 坂口安吾 散る日本 角川文庫
2006/06/21 忍足欣四郎 英和辞典うらおもて 岩波新書
2006/06/24 ギリェルメ・フィウーザ 俺の名はジョニーじゃない (長谷部・F・慶太/訳) 青山出版社、2006
2006/06/30 宮崎学大谷昭宏 グリコ・森永事件 -- 最重要参考人 幻冬舎、2000

 

 

必ずしも正確な "記録" とはいえないかもしれないが、おおむねこんなところ。筒井康隆の 『笑犬樓の逆襲』 を読み始めたはずだが、読み終えたという記録を残してないので外した。

 

他にも、H・エーベルレ/M・ウール[編] 『ヒトラー・コード』 (講談社, 2006) を読み終えたとは記録していないが、これは "記録" を集めたもので、"通読" するタイプの本ではなかったせいかもしれない (実際、途中で読むのを放棄した可能性が高い)。

 

他にも、坂下夕里 『これならわかるC 入門の入門』 (翔泳社, 2005) も、これはさすがに普通に "読む" タイプの本ではないので外した。

 

さらに他にも、ロバート・W・サイデル 『原子爆弾開発ものがたり』 (近代文芸社、2001) は通読すらしていないので外したのだが、あまりにもお粗末な訳文に腰を抜かさんばかりに驚いたせいで読めなかったのである。とても日本語に訳されているとはいえないもの。超ひどい訳文なのに、どうして出版したのか、不思議で仕方がない。

 

Tracy Chevalier の Girl with a Pearl Earring は、映画化もされた作品。読みやすく、分かりやすく、私のお粗末な読解力でも、それなりに楽しめた。

 

中島らも 『今夜、すべてのバーで』 は、中島らもについて少しでも知ってる人は、「ああ、なるほど」 と思って読むかもしれない。面白かった。

 

コリン・ウィルソンのすべて』 については、訳者が名前の知れた人なのに、どうも訳文がすんなり読めなかった。本当に中村氏本人が訳したのだろうか。

 

訳文といえば、G・グリーンの 「負けた者がみな貰う」 なんかも、妙に違和感を覚える日本語だった。

 

W・G・ゼーバルトの作品は初めて読んだのだし、それだけしか読んだことがないが、まるで何が何やら、意味が分からなかった。

 

逆に訳文に感心したのは、フラン・オブライエン 『ハードライフ』 の大澤正佳さんの訳。

 

『地の漂流者たち』 は沢木耕太郎が24歳だったかの若い頃に書いたものだが、これも読んでえらく感心したようだ (ただし、ずいぶん前のことなので、内容が思い出せない)。

 

読んでも読まなくても、それなりに本を手に取っていたんだなぁと思う。今は、とてもじゃないが、こんなに次々とは読めそうにない。

 

オープンな関係?

久しぶりに途中まで読んで放り投げてしまっていた Freya North の Sally を、以前読み進んでいた辺りから読み始めた。

 

"読む" とはいっても、私の英語力では、おおよその内容をつかもうとする程度のものでしかない。

 

水疱瘡のために勤める小学校は休職して、いくらか良くなったところで、何という島の叔母のろころに療養を兼ねて出かける。

 

そこでの生活を満喫するサリー。

 

叔母がサリーにいい人がいるのかと尋ねる場面がある。

 

叔母が、知り合ったのはいつだと聞くから、秋からだと答えるサリー。

 

叔母が 「Going steady, then?」 と問う。

 

どう訳したらいいのか分からないが、固定的な恋愛対象であり、そのまま行けば結婚するかもしれない相手なのか、みたいなことかもしれない。

 

サリーはそれに対して 「そういう関係だというのは合っていないと思う」 と答えて、何とか説明しようとするが、うまくいかない。

 

叔母は 「まさか "オープン" な関係なんていうんじゃないでしょうね?」 というのだが、この open relationship とは、互いに相手を束縛しない、つまり相手がさらに愛人などを持っても許容するし、自分も自由に恋愛などをする、そういうふうな関係のことらしい (Wikipedia [オープン・リレーションシップ])。

 

サリーはこれも否定して、「初めは好きなように付き合おうと思ってた」 のだと言い、ジャッキー・コリンズの小説に描かれてるみたいに」 と言うのだが、叔母はジャッキー・コリンズの小説を読んだことがないので、何を言いたいのか分からない。

 

Jackie Collins (1937-2015) はロンドン生まれの女優兼作家で、ロサンゼルスを本拠にして32冊の小説を書き、そのどれもがベストセラーになったという (Wikipedia [Jackie Collins])。

 

どれもベストセラーになったということは、読者が喜びそうな内容をふんだんに盛り込んだ内容だったからだろう。彼女の第1作目の小説は、オーストラリアや南アフリカでは発禁になった。

 

サリーの叔母ではないが、私もそんな作家など、名前すら知らなかった。

 

そこでサリーが次にエリカ・ジョングの名前を持ち出す。

 

ああ、Erica Jong なら私も目を通す程度に読んだことはある。

 

それも首を振られたサリーは、今度はザヴィエラ・ホランダーの名を持ち出す。

 

Xaviera Hollander (1943-) はオランダ領東インド (彼女が生まれた当時は日本の占領下にあった) に生まれたオランダ人 (それでペンネームを Hollander にしたのだろう) で、両親はユダヤ人とフランス人とドイツ人の血が混じる。

 

やがてアムステルダムから南アフリカへ、それからニューヨークのオランダ公使館の秘書となるも、それを辞めてなったのが高級コールガール (今日のレートに直すと一晩80万円くらいになるらしいから、高級コールガールというより高給コールガールだな)。

 

当然、それも叔母にはなじみがなかったわけで、「そんな小説の話なんかしたいわかじゃないのよ、あなたの生活のことを話してるのよ」 とたしなめられる。

 

 

小説の一場面を紹介しても仕方ないのだが、作家の名前が持ち出されていたので、「読書」 に関することを書く建前だったこのブログにもメモしておこうかと思った次第である。

 

「雑誌」

「雑誌」 という日本語は、おそらく小学生でも知っているだろう。

 

しかし、「雑誌」 という語が、日本に太古からあった ・・・ わけではない。

 

かなり新しい語である。

 

この語の初出は、慶応3年まで遡れるらしい。

 

命名者も分かっている -- 柳河春三(やながわ しゅんさん)という人だ。

 

そんなことを、2008年8月27日、つまり14年前の今日、私が別なブログで書いていたのを発見。

 

 → 「雑誌」という日本語の命名者

ブログに書くネタがないので、こんなことを記してお茶を濁しておく。