不明解な日本語のわたし

高橋秀実 『不明解日本語辞典』 (新潮文庫、2018) を読んだ。読了記録を見ると、これで3度目である。

 

またいつか再読するだろうことは確実な本だ。それほどすごい本なのである。

 

「どこが?」 と尋ねられると返答に困るのだが、そこいらの日本語関連の書籍とは比べ物にならない優れた内容であるのは確かだ。

 

自分の蔵書として持っている本だから、読みたい時に読める。これはありがたい。

 

 

先日、図書館に行った時に閉館してて、返却口に本を戻しただけで何も借りて帰ることができなかった。

 

それ以降、図書館に行ってないので、手元にある本を読んでるわけだが、最近は寝苦しくて、睡眠不足なのか、数行も読まないうちに眠気を催したりするのは困ったものだ。

 

集中しようとすると眠くなり、気が付くと1行も先に進んでない。いっそ眠ってしまおうと思ってスタンドの明かりを消すと、今度は暑苦しくて眠れない。眠気を誘うためにまた明かりをつけて読もうとするのだが、また目が朦朧としてくる。そこでそのまま眠ろうと思って明かりを消して ・・・

 

同じことを繰り返している気がしないでもない。

 

作中人物の妊娠に仰天す

立て続けに2冊読了。

 

1冊は、荒俣宏日本仰天起源』 (集英社文庫、1994 【荒俣宏コレクション】

 

もう1冊は Iris Murdoch: The Italian Girl Penguin, 1980 [1964]

 

荒俣宏の著作を読んだのは、これが初めてだったかもしれない。その博学多識に舌を巻く。

 

Murdoch の方は、読みかけだったもの。荒俣宏の方を通読したので、こちらに移って、とにかくこれも通読を終えた。

 

荒俣宏の本は、いろいろな文章が入っており、読むのも大変だった。ほぼ2週間近くも費やした。

 

Murdoch の方は、何しろこちらの読解力が追いつかないのだから、開き直りで、とにかく通読することが目標だった。

 

Murdoch の小説は、過去に翻訳で何作かは読んだことがあった。

 

いろいろな人物が出てくるので、人名がきちんと覚えられず、しかもカタカナなので、なおさら覚えられない。そんな印象があった。

 

The Italian Girl の方は、ある屋敷が舞台であるし、登場人物もせいぜい6人くらいだったか。これくらいなら、何とかなる。

 

Murdoch の小説は、人間関係がややこしい。それにヒネリが加わるのだから、なおのことややこしい。

 

『妊娠小説』 という変なタイトルの本を書いたのは、斎藤美奈子 (まだ、読んだことはないけれど)。

 

ふと、そのタイトルを思い出した。The Italian Girl の中で、妊娠する女性が2名。妊娠させた男は同じ人物。そして、女性の方は、母と娘。

 

片方は中絶し、他方は喜々として出産する意思を持っている。

 

そういえば、同じ Murdoch の The Book and the Brotherhod でも、妊娠して中絶した女の子がいたな。

 

この小説で、それぞれの人物が大変な試練に出会うようなものだけど、けれど、最終的には、それらは収まるべき安定へと向かう。

 

そして、それらの出来事があったにもかかわらず、本当に問題なのは、1人称で示されている語り手自身であったということになるのが、面白い。

 

 

燃えない本

ニュース記事で読んだ時に、レイ・ブラッドベリ (Ray Bradbury) の 『華氏451度 (Fahrenheit 451)』 を連想した。

 

カナダの女性作家マーガレット・アトウッド (Margaret Atwood) が、自著 『侍女の物語 (The Handmaid's Tale)』 に向けて、火炎放射器で炎を放っている。

 

これは、自著があちこちで (米国でもそうだが) 発禁処分にされていることに対する抗議のデモンストレーションであったそうで、その本は確か1千万円を超える額で落札されたのではなかったかな。

 

面倒なのでその記事は探さないが、ココ にも関連記事があった。動画付きである。

 

記事を読んだのは数日前だが、「すごい婆さんがいるな」 と思ったものの、それから、ふと、何だか名前を見たことがあるような気がしてきた。

 

「ひょっとして ・・・」 と思って、書棚から未読の本を引っ張り出してみると、ビンゴ! というべきか、その Margaret Atwood 女史の小説だった。

 

問題の小説ではないが、タイトルは The Testaments である。Copyright を見ると 2019年となっているから、わりと新しい。

 

購入書の記録を見ると、今年の3月に小倉の BookOff で購入したもの。金額は¥520 で、読んでから処分された本とは思えない、まっさらに近いきれいな本だ。

 

急いで読む必要はないし、図書館で借りてきた本も読まなければならないしで、後回しにして、そのままになってた本。

 

ま、今も状況は大して変わらないのだが、そのうちには読むかもしれない。

 

世界の果てまで

つい 「私を野球に連れてって」 という曲 (Wikipedia を見ると、日本でもおなじみの曲らしい) を連想する。

 

「野球」 ならまだしも、「世界の果て」 となると、こりゃあ容易なことではあるまい。

 

今日、ぶらりと立ち寄った書店で、ちくま文庫の並んでいる棚で、サンドラールの 『世界の果てまで連れてって』 を見た。

 

訳者は私の持ってる福武文庫版と同じで生田耕作であるから、同じものだろう。

 

なつかしくなった。

 

 

玉と錬金術

荒俣宏 『日本仰天起源』(集英社文庫荒俣宏コレクション】 1994) を読み始めているのだが、これが、面白い。

 

「釣りと玉川」 という文章がある。

 

私は釣りを趣味としていない人間だが、それでも読むと面白い。

 

水中が 「異界」 であるという話から外道の話に移り、幸田露伴の 『幻談』 という小説に言及し、玉のことに移る。

 

 潮の干満を支配し、雨を自由に降らせる力をもつ玉は、いうまでもなく自然の制圧を暗示する隠喩である。

 

という。そして

 

 釣り師が真にめざす相手は玉なのである。

 

という。すなわち

 

 玉を得ることが、釣りの最終目標なのである。

 

と断定する。

 

この部分を読んだ時に、C・G・ユングの 『心理学と錬金術』 という書物のことを思い出した。

 

ユングによれば、錬金術は、金を得ることを目標にしているように見えて、実は一種の修養であって、そこから精神の変容が導き出されてくるものということになる。

 

釣りという行為も、どこか瞑想のような趣がないではない。魚を釣るのが目的であるのに、釣れようが釣れまいが、釣り糸を垂れるという行為そのものに没頭したくて釣り人は釣りに出かけるのかもしれないではないか。

 

そう考えると、ちょっと面白い。

 

 

 

 

読了メモ

幸田露伴渋沢栄一』 (岩波文庫、2020) をやっと読了。

 

続いて畠中恵えどさがし』 (新潮文庫、2014/2015) に移る。

 

畠中さんの本は久しぶり。

 

だけど、『渋沢栄一伝』 にかなり時間を割いたので、畠中さんの本は、最後まで読み切れずに図書館に返却せざるを得ないかもしれない。

 

それはそれで、まぁいいや。

 

 

それとは別に、Iris Murdoch の The Italian Girl も読みかけ。

 

こちらは Amazon で注文して入手した古本 (古本だけに、とても安かったので注文したのだが、なるほど古本だけあって、背表紙なんかに擦れて禿げている部分はある。まぁ、本文が読めればいいんだから、問題ない)。こちらは好きな時に読めるので、気が楽だ。

 

マードックは、過去に翻訳では何冊か読んだことがあるが、原文で読んだのは The Book and the Brotherhood という小説 (Penguin 版。それなりの厚さがあった) だけ。

 

『赤毛のアン』 の島

読んだことがあるかどうかの記憶がない。

 

だけど、何しろ有名な小説だ。

 

作者はカナダの L・M・モンゴメリー (L. M. Montgomery, 1874-1942) という女性作家。

 

ここでクイズです。

 

『赤手のアン』 の舞台でもある、モンゴメリーが生まれたカナダの島の名前を答えなさい。

 

 コチ ・・・ コチ ・・・ コチ ・・・ チーン!

 

はい、答えをどうぞ!

 

私の場合、急にそんな質問をされても答えられない。答えは 「プリンス・エドワード島 (Prince Edward Island)」 である (答えを聞いても 「フ~ン」 としか思わないのだから、要するに知らないのだ)。

 

カナダ東部のセント・ロレンス湾にある、かなり大きな島だ (東京都の約3倍の広さがあるらしい)。

 

観光地になってるようだが、今はどうなのだろう。