玉と錬金術

荒俣宏 『日本仰天起源』(集英社文庫荒俣宏コレクション】 1994) を読み始めているのだが、これが、面白い。

 

「釣りと玉川」 という文章がある。

 

私は釣りを趣味としていない人間だが、それでも読むと面白い。

 

水中が 「異界」 であるという話から外道の話に移り、幸田露伴の 『幻談』 という小説に言及し、玉のことに移る。

 

 潮の干満を支配し、飴を自由に降らせる力をもつ玉は、いうまでもなく自然の制圧を暗示する隠喩である。

 

という。そして

 

 釣り師が真にめざす相手は玉なのである。

 

という。すなわち

 

 玉を得ることが、釣りの最終目標なのである。

 

と断定する。

 

この部分を読んだ時に、C・G・ユングの 『心理学と錬金術』 という書物のことを思い出した。

 

ユングによれば、錬金術は、金を得ることを目標にしているように見えて、実は一種の修養であって、そこから精神の変容が導き出されてくるものということになる。

 

釣りという行為も、どこか瞑想のような趣がないではない。魚を釣るのが目的であるのに、釣れようが釣れまいが、釣り糸を垂れるという行為そのものに没頭したくて釣り人は釣りに出かけるのかもしれないではないか。

 

そう考えると、ちょっと面白い。