過去の読了書記録から (5) - 2005年1月~6月

「過去の読書記録から (4) 7月~12月」 を書いたのが、去年の10月29日のことだったようだから、かなり間が空いてしまった。

2013年くらいからは普通にエディタで記録を書き込む形にしたのだが、それ以前は独自の形式で記録していた。

古いのは早くここに再録してしまいたい。手を入れなければならないのが面倒ではあるけれど。

 

 

2005/01/14 ディヴィッド・クリスタル 消滅する言語

2005/01/18 新元良一 翻訳文学ブックカフェ (本の雑誌社、2004)
2005/01/28 イアン・ワトスン エンベッディング (国書刊行会、2004)
2005/03/09 栗林彰 コンセント、抜けてます。(秀和システム、2004)
2005/03/13 太宰治 津軽
2005/03/19 石山茂利夫 国語辞書事件簿 (草思社、2004)
2005/03/25 Dan Brown Angels & Demons (Pocket Books, 2001)
2005/03/26 坂村健 痛快!コンピュータ学 (集英社、1999)
2005/03/30 群ようこ 雀の猫まくら (新潮社、1998)
2005/03/31 小室直樹 日本国憲法の問題点 (集英社インターナショナル、2002)
2005/04/09 Dan Brown Deception Point (Pocket Books、2002)
2005/04/19 Dan Brown Digital Fortress (Martin's Paperbacks、2004)
2005/04/22 デヴィッド・マドセン グノーシスの薔薇 (角川書店、2004)
2005/04/22 砂田一郎 アメリカ大統領の権力 (中央公論新社、2004)
2005/04/28 ウィリアム・ギブスン フューチャーマチック (角川書店、2000)
2005/05/10 John Gray Men are from Mars, Women are from Venus (Thorsons、2002)
2005/05/21 ベルナール=アンリ・レヴィ 誰がダニエル・パールを殺したか?  [上・下](NHK出版、2005)
2005/05/26 Diane Carey S.W.A.T. (Pocket Star Books、2003)

2005/06/01 コーラン 
2005/06/03 河野一郎 翻訳上達法 (講談社新書)
2005/06/08 クリフォード・ストール カッコウはコンピュータに卵を産む
2005/06/13 小室直樹 政治が悪いから世の中おもしろい
2005/06/14 セルジュ・ルドラン&ロゼ 世界ハッカー犯罪白書
2005/06/17 宮田光雄 ナチ・ドイツと言語 - ヒトラー演説から民衆の悪夢まで (岩波書店、2002)
2005/06/20 多和田葉子 エクソフォニー (岩波書店、2003)
2005/06/22 Ken Follett Eye of the Needle (Avon Books、2000)
2005/06/23 清水義範 日本語の乱れ (集英社、2000)

2005/06/27 Robert B. Parker Shrink Rap (Jove Books、2003)
2005/06/28 クレイグ・アンガー ブッシュの野望 サウジの陰謀 - 石油・権力・テロリズム柏書房、2004)
2005/06/30 副島隆彦 英文法の謎を解く

 

あぁ、Dan Brown を読んだのは、この頃か。

市の図書館にあった Dan Brown のペーパーバックはみんな読んだ ・・・・ といえばすごいことのようだが、Da Vinchi Code から初めて、それ以前の2,3冊も読んだ、というに過ぎない。

 

ウィリアム・ギブスンを読んだのもこの頃か。

これも、図書館で見かけたものだけ。もっと読んでみたい気はあったが、今になってはどうかなぁ。

 

デヴィッド・マドセンの 『グノーシスの薔薇』 に関しては、まるで面白くなかったということを覚えている。期待とは裏腹だった。

 

Ken Follett の Eye of the Needle については、予想以上に面白かったという記憶が残っている。

 

クリフォード・ストールの本については、これは当時はよく読まれた本かもしれない。今ではどうってことないような印象を持つかもしれないが、当時の私は、「ネットを使えるってのは面白そうだな」 とか思って読んでた。いろんな言語を使える著者のことをすごいと思い、自分もプログラミング言語なるものを学んでみたいという気持ちを抱いたりした。その成果は出なかったが、啓蒙されたとはいえる。

 

社会派的ロマン・ヌワール風完全犯罪推理小説

上に訳の分からんタイトルを書いてみたが、まぁ、分類はどうでもいいってことだ。

 

「探偵」 小説としようかとも思ったが、職業としての 「探偵」 は登場しない。

 

しかし、おったまげた。こんな小説を、女性が書いたのだということに。

 

 

読んだ人には分かるかもしれないし、そうでない人に内容を紹介するのもどうかと思うので、内容は書かない。

 

ただ、ある完全犯罪が描かれているのは確かだろう。

 

第2章の末尾で容疑者は逮捕される。それでも、そこで種明かしはされない。

 

事件の真相を追う女性雑誌記者が、その真相をつかむのだし、第3章で 「真犯人」 にそれをぶつけるのだが、それ以上には進展しない。

 

「濡れ衣」 を着せられた男は、警察側によって、彼が犯人であるとしても 「齟齬がない」 ということで 「殺人犯」 として告訴されることになろう。

 

他の人物が 「犯人」 である可能性が高くても、「公判を維持する」 ことができなければ、あくまでも当初の男が 「犯人」 だとされるしかない。

 

 

ま、余計なことを言う必要はあるまい。読んだ人には分かるというだけのこと。

 

 

 

 

2人の翻訳家

田口俊樹 『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳 この四十年』 (本の雑誌社、2021) を読み終え、続けて、その前から読んでいた柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1998) も読み終えた。

 

 どちらも翻訳家という点では共通しているが、分野は必ずしも重ならない。

 

柳瀬尚紀氏の方はジョイスが有名で、田口俊樹氏の方は 「エンタメ」 の膨大な翻訳での実績を積んでいる人。

 

実は 『辞書はジョイスフル』 の方はかつて、少なくとも一度は通読したことがある (今回が二度目なのか三度目なのかは分からない)。もう、名人芸も極まれりという内容。

 

対して田口氏の方は、翻訳以外の文章を読んだのは、これが初めて。そして、翻訳というのは、かくも奥が深いものなのかと知らされた。

 

 

* 本当はメモを取っておきたい事柄もあったのだが、夜、寝床の中で読んでいて、とにかく 「通読」 することが目標ではあり、そのままパスしてしまった。何しろ、私の部屋は寒いので、手の先を布団から出すだけで 「手いっぱい」 なのである。

 

 

 

 

図書館へ

ヘルニアも、かなり改善してきたようなので、久方ぶりに図書館に行ってみた。

 

まぁ、何とか歩けた。

 

2冊だけ借りる。本当は、他にも借りてみようかなと思った本はあったのだが、欲張っても読み切れないだろうから。

 

借りたのは田口俊樹 『日々翻訳ざんげ』 と望月諒子 『蟻の棲み家』 である。

 

前者は翻訳家のエッセイ (*) で、後者は小説。読み切れるかどうか。

 

 

* 柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1996) を再読中なので、翻訳家とはすごいものだと感心しているところ。「田口俊樹・訳」 となっている翻訳書を読んだ記憶があるので、翻訳家つながりで。

 

敗北者の思想

最近はヘルニアもかなり良くなってきたので、そろそろ図書館に出かけて本でも借りて来ようかと思ってみた矢先、県内ではオミクロン感染者が無視できない数にのぼり、重点措置法だったかの適用を受ける始末。

 

今回は、まだ図書館は休館措置を取っていないようだけど、いつ以前のように閉館状態が続くことにならないとも限らない。

 

行くなら今のうちかなぁ。足を引きずって、体を左右に揺らしながら (右足を庇うために、変な歩き方になるのです)、体を前のめりにして (こうすると痛みを感じにくい)、そんな状態で街中を歩いて図書館までたどりついて、本を借りるべきか (とはいえ、今はそれほど極端な歩き方をしなくてもいいほどに回復はしているのだが、完全に元通りとはいえない。まだ、いくらかの痛みは感じる)。

 

まぁ、手持ちの本の再読も無意味ではない。

 

先日読み終えた白川静孔子伝』 (中公文庫、2003 [1991) など、1度通読したくらいでは頭に入らない本だ。

 

とはいえ、これが少なくとも2回目の通読 (前はいつ読んだのだっけ)。

 

とにかく漢字の多い本だ。といっても、固有名詞などが漢字で表記されてるから (古代中国だから当然だけど)、それが読めないことが多くて、おまけに古代中国の地理や歴史を知らないから、すんなりと頭に入って来ない。

 

孔子は巫祝の世界から出た人らしい。それを頭に置いておかないと、「礼」 を重んじた孔子を理解できないのだろう。

 

読んでいて思ったのが、「あ、おれはそもそも 『論語』 を通読したことさえなかったなぁ」 ということ。

 

そんな者が、この本を読んで、どれほどの理解をすることが出来るだろう。

 

にもかかわらず、2回目だか3回目の通読である、少しは雰囲気だけでも味わえたかもしれない。

 

論語』 という書物は、孔子の語った語を、そのまま記した書物ではないらしい。

 

孔子没後に、弟子たちや、派生したいくつかの流派みたいな者たちの作為も加わったもの。

 

また、孔子の思想のまっとうな後継者は、意外にも 荘周 つまり 荘子 かもしれないということ。

 

それから、戦後の価値観の崩壊した時期に白川静の手元に置かれていたのは『論語』 に加えて 『聖書』 だっというのも意外。

 

それだけでなく、白川静によれば、『論語』 も 『聖書』 も、「敗北者の思想」 だという。

 

それってニーチェの言い方みたいだな、と思った。

 

改めて、もう少し丁寧に読んでみなければ分からない本ではある。

 

 

その後、寝床で読む材料にしているのが 柳瀬尚紀 『辞書はジョイスフル』 (新潮文庫、1996) だ。

 

これは、ある意味、やはり読みにくい。といって、読めないことはないのだが、とにかく細かい。

 

ここまで細部に拘るのが プロ というものかもしれないが。

 

しかし、寝床で読んで 催眠剤 の代用とするには、これくらいが適当かもしれない。

 

本気で読むならば、だが。

 

 

 

 

最近

最近はネタがない。

 

ヘルニアで歩くことに問題があって、市の図書館にも出向けず、新たに本を借りれない状態が続いている。

 

仕方がないから、所有する本の再読をしているのだが、それにしても白川静孔子伝』 (中公文庫、改版003) を読むスピードが遅い。

 

夜、寝床の中で数ページほど読み進むと、もうお寝みだ。

 

何とも読みにくい本である。漢字はやたらと出てくるのに、ほんの一部にしかフリガナが付いていない。

 

読み方はいい加減にして読んでるが、文章も論旨がすんなりと頭に入ってこない。

 

もう少し漢字が読めれば違うのかもしれないが、そちらの方に気を取られているうちに、何を言ってるのかがよく分からなくなる。

 

文庫本に入れるのなら、もう少し読者の便宜を考えてもらいたいものだが、あまりにも漢字が多いし、読み方も歴史的なものが入ってるので、フリガナを付けるのが面倒だったのだろうかと思ったりする。

 

まぁ、催眠剤の代用にはなる本かもしれない。

 

Hello

Hello は英語の 「ハロー」 という、アレ。

 

ところが、Hello という名の作家もいたのだ。

 

フランス人で、Hernest Hello という名の人 (1828-1885)。

 

ただし、読み方は エルネスト・エロー だ。

 

Wikipedia [エルネスト・エロー] という項目がある。