マーガレット・ウィルソン

Project Gutenberg に Margaret Wilson 作 The Able McLaughlins という小説が出ていた。

 

マーガレット・ウィルソンといえば、第28代アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンの長女の名。

 

そんな人の書いた小説なのかと思ってしまったが、そうではなかった。

 

大統領の娘は Margaret Woodrow Wilson (1886-1944) で、小説を書いたのは Margaret Wilhelmina Wilson (1882-1973) の方。別人である。

 

Margaret Wilson は、The Able McLaughlins を発表して、1924年にピューリッツァ賞を受賞した。

 

1914

ジョージ・オーウェル (George Orwell) の 1984 という作品は有名だが、同じように年代をタイトルにした小説がある。

 

それは John Oxenham の 1914 という小説。

 

読んだことはないが、第1次大戦を舞台にしたものかも。

 

ネット上に公開されているので無料で読めるが、英語だし、長編なので、私の読解力では荷が重すぎる。

 

人語 犬語

ヘルニアは、いくらかましになったが、外を歩くのはつらい。

苦痛をこらえながら図書館まで行くなんてことはしたくないから、今のところ新しく借りて読んでるものはない。

 

前に書いたヨハン・ベックマン 『西洋事物起原 (二)』 (岩波文庫、1999) は、いちおう通読。というか、各ページをめくって目を通したという程度。

 

それで、次は、スタンレー・コレン 『犬語の話し方』 (文春文庫、2002) をぼちぼちと、就寝前に寝床で読んでいる。

 

これも Book-Off で仕入れてあった本で、¥108 というシールが貼られているから、かなり以前に買ったもの。少し読んだまま積読状態にあった本。

 

これを読んだからどうだということはないのだが、まぁ、それなりに興味深いところはある。

 

犬語の辞典みたいな要素もあるが、著者の個人的な体験なんかも入っていて、読み物としても読める。

 

昔は、犬を飼ってたこともあるから、あの頃にこの本を読んでたらなぁと思わぬでもない。

 

小説やエッセーの類ではないが、それでも訳文が見事に日本語であるのに感心する。こういう翻訳ができるのは、まさしくプロだ。著者は犬語を人語にし、その英語の人語を、訳者は見事に日本語にしている。

 

過去の読了書記録から (4) - 2004年7月~12月

前回から間が空いたので、ちょっと要領を得ないところがある。

 

リストを示すだけなのだが、元のソースの表示に手を加えなければならないのが、やや面倒。

 

 

2004/07/03 Dean Koontz Ticktock (Headline Book Publishing、1997)
2004/07/08 アイリス・マードック ジャクソンのジレンマ (彩流社、2002)

2004/07/10 人間おもしろ研究会[編] 天才の謎と秘密

2004/07/12 アンドレーア・ケルバーケル 小さな本の数奇な運命 (晶文社、2004)

2004/07/19 丸山圭三郎 言葉と無意識 (講談社新書)

2004/08/01 Anne Rice Blackwood Farm (The Random House、2003)

2004/08/03 ジェフリー・アーチャー 獄中記 - 地獄篇 (アーティストハウス、2003)

2004/08/09 ウイリアム・ギブスン パターン・レコグニション (角川書店、2004)
2004/08/10 吉村昭 ポーツマスの旗 (新潮文庫
2004/08/12 Agatha Christie The ABC Murders (HarperCollinsPublishers、2001)

2004/08/18 Dewey Gram The Life of David Gale (An Onyx Book [Penguin Putnam]、2003)

2004/08/26 Terry Kay To Dance with the White Dog (Washington Square Press of POCKET BOOKS [a division of Simon & Shuster Inc.]、2002)

2004/08/20 根本美作子 眠りと文学 (中央公論新社、2004)

2004/08/28 正高信男 天才はなぜ生まれるか (ちくま新書、2004)

2004/09/01 Nick Hornby About a Boy (Penguin Books、2002)
2004/09/02 白川静 孔子

2004/09/05 ダン・ファンテ 天使はポケットに何も持っていない (河出書房新社、2004)
2004/09/16 Nick Hornby High Fidelity (Penguin Books、2000)

2004/09/19 中村健之介 永遠のドストエフスキー (中央公論新社、2004)

2004/09/25 勝谷誠彦 イラク生残記 (講談社、2004)
2004/09/29 Agatha Christie And Then There Were None (HarperCollins、2003)

2004/10/01 中島らも アマニタ・パンセリナ (集英社、1995)

2004/10/05 E.Hinton The Outsiders (Penguin Putnam、2003)

2004/10/16 青井汎 宮崎アニメの暗号 (新潮新書、2004)

2004/10/21 Elmore Leonard The Big Bounce (HarperTorch、2003)

2004/10/25 マーク・トウェイン まぬけのウィルソンと かの異形の双生児  (彩流社 [マーク・トウェイン コレクション 1]、1994)
2004/10/29 ジョアオ・マゲイジョ 光速より速い光 (NHK出版、2003)

2004/11/21 Philip K. Dick Paycheck (Gollancz、2003)

2004/11/24 ローレン・スレイター わたしの国にようこそ -- 精神分裂症患者の心理世界 (早川書房、1996)

2004/12/02 ニール・ガーシェンフェルド 考える「もの」たち (毎日新聞社、2000)
2004/12/05 平野嘉彦 マゾッホという思想 (青土社、2004)

2004/12/10 藤広哲也 そこからパソコンがはじまった! -- 栄光と激動のコンピュータ1980年代史 (すばる舍、2004)

2004/12/10 夏目漱石 彼岸過迄 (角川文庫)

2004/12/18 河合隼雄 コンプレックス (岩波新書

 

 

よく読んでるなぁ。今では考えられない。

その当時にこのブログを書いてたら、いろいろと書けたかもしれないのだが。

記憶に残ってるものと残ってないものとがある。おそらく、むずかしい本の内容は、ほぼ忘れているだろう。

そもそも、書名を見ても、読んだことがある本だということを思い出さないくらいなものだ。

 

初めに出ている Tiktok は、これは面白かった。英語の読解力がおぼつかなくても、勢いで読んでしまった。また、そういう読み方がふさわしいような作品。

次のマードックの 『ジャクソンのジレンマ』 はマードック最後の長編。執筆当時の彼女はアルツハイマー病に冒されていた。それは別としても、読んでてまるで面白くなかった。

イリアム・ギブスンの翻訳は何冊か読んだ。サイバーパンクSFというのだったか何だったかの、それなりに面白いと思った作家だ。

Dewey Gramの The Life of David Gale は、読み終えて 「う~ん」 と唸ってしまうような作品。

 Terry Kay の To Dance with the White Dog は、たしか日本で映画化されたのではなかったろうか。心温まるという月並みな表現はしたくないが、いい作品だ。

Nick Hornby の About a Boy も、いい感じの作品。映画化されたんだったかどうだったか、記憶が曖昧だけれど。

ダン・ファンテの作品は、初めて読んで、そしてイカれた。どこかブコースキーを思わせるし、訳者もブコースキーの作品を訳している中川なんとかという人だったが、作者はそういうふうに結び付けられるのは本意ではないみたい。もっとダン・ファンテの作品を読みたくなったが、図書館には他に彼の作品がなかった。

Nick Hornby の作品は、図書館に置いてあったものはみんな目を通したが、High Fidelity だけはあまり面白く感じなかった。

中島らもの 『アマニタ・パンセリナ』 は薬物の話が出てくる作品。さすが中島らもの書いたものだけあって、面白かった。

 

最近は図書館に行ってないので、本を借りてくることが出来ず、従って いいかげん読み すら出来ずにいる。

ひとつには、ヘルニアになって、足が痛くて歩けないという状態にあることもある。

仕方がないから手持ちの本を読んでるが、最近は以前 Book-Off で買ったヨハン・ベックマン 『西洋事物起源 (二)』 を、就寝時に寝床で読んでいる。特に面白いわけでもないし、カタカナの名前がやたらと出てくる (そのあたりは読み飛ばしてる) のだが、まぁ、気長に読んでみようとはしている。それこそ、内容はまるで頭に入らないのではあるけれど。

 

或る噺家の一代記

毎晩寝床でちょいとづつ読んでいたが、とうとう読み終えてしまった。

 

5代目古今亭志ん生の 『びんぼう自慢』 (ちくま文庫、2018 [2005]) である。

 

同じちくま文庫に入っている 『なめくじ艦隊』 は過去に読んだことがあり、話としては重なり合ったりもするが、こちらはこちらで楽しんで読めた。

 

語り口を活かした書き方にしてあるのもいい。

 

今さら内容について云々する気はないが、いまパッと開いたら、こんな文が目に入ったので、引用してみよう (文の一部だけだ)。

 

 思惑だの褌なんてえものはえてして外れやすい。

 

こういうユーモアは、落語の中にも出てきそうだ。

 

 

 

 

 

公園

私は別なところにもブログを書いていて、一応は書いてみたものの、アップしようかどうしようかと迷って、結局アップしないことにした文章があるのだが、本に関連する内容だから、こちらの方にアップしてみる。

 

   *   *   *

 

永井荷風・作 「踊子」 に

 

 日曜なんぞは朝の九時から夜の十時まで同じ事を四、五回やるのが公園の例ですから

 

という一節がある。

 

この 「公園」 はどう考えても 「公演」 だろう。

 

岩波文庫版 (2019) からの引用である。2010年の 『荷風全集』 を底本にしているというのだから、「全集」 ではそうなっているのかもしれない。つまり、元がそういう表記だったのだろう (面白いことに、作中には本当に 「公園」 を表している箇所もある)。

 

しかし〔編集付記〕に、文字を改めただの何だのと書いてあるところを見ると、文庫本として、読者が読みやすいように表記に手を加えているようだ。それなのに、「公演」 が 「公園」 となっているのは、どんなもんだろう。オリジナルの表記にこだわるのなら、(漢字はさすがに昔のままでは読みにくいかもしれないけれど) 旧仮名遣いは残せばいい。仮名は書き換えて、漢字は字体を変えただけというのでは片手落ちではなかろうか。

 

   *   *   *

 

 

と考えたのだが、荷風の文章には、必ずしも今日の文字使いに合わない書き方をしている場合がある。

 

それなら、「公園」 の場合はどうかといえば、ひょっとしたら、その 「公園」 というのは、「公演」 のことというよりも、レビューなどを上演する建物のある場所のことを指しているとも考えられる。

 

「公園の例」 とは、その地区にある何々館だか何々ホールだかにおいては、そうするのが普通で、珍しいことではない、ということを述べているのかもしれない。

 

その文庫でも、そういう解釈に立って、「公園」 を 「公演」 とは改めなかったとも考えられる。

 

 

 

 

 

上の広告画像に、「作者:荷風、永井」 とあるが、どうも不自然に感じる。

 

なぜ素直に 「作者: 永井荷風」 としないのだろう。

 

たとえば欧米の作家や著作家の書名を表す際に、"James, Henry" のような表記がされることはある。普通は Henry James なのだが、リストなどで著者名順に並べてあるような場合に、ファミリー・ネームを出す場合だ。

 

その方式を永井荷風の場合に当てはめてローマ字書きにしても、Kafu Nagai が "Nagai, Kafu" になるだけである。それが、日本語表示であるのに、「荷風、永井」 とあるのは、いかにも変だと言わざるを得ない。

 

* なお、これは現時点での話で、広告主による修正がなされる可能性はある。

 

建物が主役の人間ドラマ

最近のわが読書。

 

カレル・チャペック白い病』 (阿部賢一・訳、岩波文庫、2020) に続いて、かなり時間を取った気がするが植松三十里 『帝国ホテル建築物語』 (PHP研究所、2019) を読了。現在は永井荷風浮沈・踊子 他三篇』 (岩波文庫、2019) を読みつつあるところ。

 

植松三十里なんて人は、名前も知らなければ、読んだのも初めて。

それに、建物の話なんぞ読んでもさして面白くもあるまいけれどと、大した期待もしないで借りてみただけの本だった。

 

それが、存外に面白かった。

まるで大河ドラマを見ているよう。

たしかに、この作品がドラマになってもおかしくない。

ただ、セットが大変だから、製作費が嵩む嫌いはあるかもしれないが。

 

ちらと思ったのが、プロローグやエピローグは、必要だったろうか、ということ。

とにかく中身がすごいのだから、それで押していってもよかったのではあるまいか、なんて思ってしまった。