不満

最近の読書のメモ。

 

2冊通読した。

 

 ・ メアリ・ノリス 『カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話』 (柏書房、2021)

 ・ 毛内拡 『脳を司る「脳」 最新研究で見えてきた、驚くべき脳のはたらき』 (講談社 ブルーバックス、2020)

 

正直なところ、前者は期待外れ。

 

後者は、内容が内容なので、とりあえず通読したというに過ぎないのだが、それなりに刺激的だった。

 

そして、後者は、科学的な読み物なのに、文章が素直で、引っ掛かりがない。お見事だ。

 

でも、「おわりに」 の部分を読むと、著者の文章に編集部の担当者がそれなりに手を入れたみたいだ。

 

なるほど、と思った。さすがはプロの仕事である。

 

前者については、これは翻訳であり、内容もエッセイ風なので趣が異なるのは当然だが、翻訳は原文に忠実に、ていねいになされているという印象を受けた。

 

ただし、そういう軽い読み物風でありながらも、著者が蘊蓄を -- それもいやらしくない感じで -- 傾けている部分もあれば、自身の経歴や、仕事の上での経験などを紹介していたりもする。

 

「ニューヨーカー」 の校正係をしてた人だけに、その文章にも都会的な軽さがあるのだろう。

 

その軽さというか、時にユーモラスに語る語り口というか、思わずスイスイと読み進まされてしまうような軽み、そういう要素が弱い日本語になっている気がした。

 

繰り返すが、翻訳はていねいなもので、おそらく誤訳もなしかもしれない。

 

しかし、「読み物」 として読もうとして、ところどころで引っ掛かっていては興ざめだ。

 

原文では文章の軽みがあって、粋な感じになってるのかもしれないが、その感じが伝わってこない気がした。

 

そういうのは、翻訳であがってきた原稿に、編集の方で腕を奮って手を加えるべきではなかったか。

 

あるいは、女性の著者のものであるので、訳者も女性という組み合わせでもよかったかもしれない。

 

そうならなかったのは、あるいは、卑語を羅列したような部分があったりして、そんな部分を訳すのに女性の訳者が尻込みして断ったからだ、なんてことを想像したりした (今どきの女性翻訳家が、そんな理由で断るなんてことはないかもしれないから、勝手な想像である)。

 

内容的には、もう1度読み返してみたいと思っている部分もあって、とりあえずは図書館に返却せねばならないので手元に置いておけないが、そんな機会があれば、改めてメモしてみることもあるかもしれない。

 

 

それから、前回マイケル・ドズワース・クック 『図書室の怪 四編の怪奇な物語』 について書いたが、今でもちょっと頭に浮かんだりする。

 

メインの 『図書室の怪』 ではなくて、それに続く短編の中に、樹木になった男の出てくるのがあった。

 

あれは、ある意味では 怪奇 といえるのかもしれないが、トーテム という言葉を思い出させる。

 

いや、トーテム とは違うのだが、一種の樹木信仰であると見れなくもない。

 

あの木は何の木だったか忘れたが、日本にも樹木信仰はあったわけで (今もあるといってもいいかもしれないが)、たとえば南方熊楠が自分の名前に含まれる 楠 を取り上げた文章などを思い出す。

 

西洋だったかには 世界樹 なんてのがあるが、それよりも日本の樹木信仰の方に近いような印象を受けた。

 

西洋人の書いた作品の中に、そのような東洋的ともいえる要素が入っていたのは面白い。

 

 

そうそう、毎日のようにアップしているわけではないので、ついでに今読んでるものもここで紹介しておこう。

 

 ヨルン・リーエル・ホルスト 『猟犬』 (ハヤカワア・ミステリ、2015)

 

ノルウェーの作家による警察官の登場するミステリ。

 

同じくノルウェーの作家ならジョー・ネスボを2冊読んでいるが、こちらは、今のところは、あのネスボのような強烈さはない。

 

けれど、もっと落ち着いているというか、ある意味で安心して話の進行について行けそうな気がする。

 

 

 

 

 

* 「不満」 というタイトルにしたのはなぜだろう。何かタイトルをつけておかないといけないと、よく考えもせずにつけただけ。ただ、メアリ・ノリスの本の中にフィリップ・ロスの名前が出てくるところがあって、フィリップ・ロスには 『ポートノイの不満』 というケッタイな作品があるのだが、ひょっとしたら無意識のうちにそのタイトルから拝借したのかも。