ウンベルト・エーコの 『薔薇の名前』 を再読したのは、私の読了書リストを見ると、2015年の3月のこと。
マイケル・ドズワース・クック 『図書室の怪 四編の怪奇な物語』 (山田順子・訳: 創元推理文庫、2020) を読んでいた時に、あの作品を思い出した。
エーコの 『薔薇の名前』 も、修道院における図書館というか図書室というか、そういうところが舞台の1つになっていたからだろう。
副題に 「四編の怪奇な物語」 とあるが、メインは 「図書室の怪」 という作品だ。
それと、もう1つ思い出したのが、レヴ・グロスマンの 『コーデックス』 (ソニー・マガジンズ、2006) という小説のこと。
内容は忘れてしまったが、『コーデックス』 は面白い小説だったという記憶がある。
今回読んだ 『図書室の怪』 は、こちらはこちらで、ゴシック・ロマン的な、落ち着いた怪奇談を楽しめた。
山田順子さんの訳文も、今日の日常的な自然な日本語として読める。当たり前のようでいて、そういうふうな訳文にするのは、存外とむずかしいのではあるまいか。
回想記の形を取っているが、それを公開するのは著者の死後ということになっており、息子がその遺志を遂行したという形。
ただし、その息子によるエピローグが付されていて、手がこんでいて、本編だけでも暗号解読の要素あり、幽霊譚の要素あり、英国の古い歴史への回顧ありで、それぞれ興味深いものがあるのだが、さらに、そのエピローグによって、手記の書き手も知らなかった奇妙な因縁が明らかにされる。
それほど期待せずに読み始めたものだが、それなりに面白かった。
その後ろに他の3篇が収められていて、その初めの短編 (その本は返却してしまったので、タイトルを思い出せないが、「6月15日」 みたいな日付だったのは確か) は鉄道にまつわる話だが、幽霊譚といえる。
ふと思い出した本があって、鉄道と幽霊譚、その2つの要素が組み込まれた作品がいくつか入ってたと記憶するが、たしかポーランドの作家のものだったような気がするだけで、今のところ、読了した作品をメモったリストを見ても見出せず、書名も作者名も、まるで思い出せない。
私の読書なんて、その程度のものだ。書名や著者名を見ても、そんな本を読んだという記憶が蘇らないものさえある。
そうそう、 前回メモしてた 八幡和郎 『江戸時代の「不都合すぎる真実」 -- 日本を三流にした徳川の過ち』 (PHP文庫、2018) は通読を完了。
だけど、来年くらいになったら、そんな本を読んだことがあったことすら、忘れているかもしれない。
書名などは忘れても、頭のどこかに、内容の一部の記憶でも残っていてくれたらいいのだが ・・・
本日のタイトルを 「トロトロ読み」 としたのは、そんなこととも無関係ではない。
若い頃なら、買ってきた本とか、借りてきた本とか、とにかく読もうと思って手にした本だから、とりあえず通読はした。
また、「こりゃ手に負えない」 と思えば、初めの方で読むのは放棄してたろう。
ところが、今は、ある程度読み進んだ本を脇に置いて、別な本を読み始めたりすることがある。
図書館で借りる場合は、複数の本を借りることができるので、複数の本を欲張ったあげく、実際に通読できたのは1冊だけで、あとはそのまま返却となったり。
さらに、別に、読もうと思って買っておいた本があったりする。
身銭を切った方はいつでも手元にあるから安心して、それがいつまでも 積読 (つんどく) 状態におかれていたりしかねない。
それはそれでいいじゃないかと思わなくもないが、どうかなぁ ・・・
後ろめたい気がしないでもない。
[追記]
上に記した書名も著者名も忘れてしまった本の件だが、再度調べてみたら分かった。
著者はステファン・グラビンスキで、私が読んだのは 『動きの悪魔』 (柴田文乃・訳、国書刊行会、2015) である。
読了書リストを見ると、2019年の11月に読み終えていた。