ジェイソン・コーゾル 『ドル大暴落の日』(講談社文庫、1992) を読了した。
世界規模での為替相場の謀略的な操作によって、米ドルを暴落させ、日本が米国を支配せんというとてつもないことを考え、実行に移した元日本兵。
それにからめて、米国人男性と日本人 (独日混血) のラブロマンスも入っている小説。
相場の数値の変動が、実際の数字で示されたりして、リアリティを持たせてはいると思う。
でも、あくまでもエンタテインメントの域を出るものではないな、というのが私の感想。
翻訳の出来は非常に良い。
そして次に読み始めようとしたのが、レイモンド・チャンドラー 『さらば愛しき女よ』 (清水俊二・訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1995 [1976]) である。
有名な作品だし、清水訳がほとんど定番だったのではないかと思う。ただし、たしか村上春樹も訳してた気がするが。
昨夜は、冒頭の描写の部分に目を通したところで、スタンドのスイッチを切って寝てしまった。
正直に言うと、いささか失望した。「通り過ぎた」 「価値があった」 「垂れさがっていた」 「余計なものだった」 「人目をひいた」 と、「た」 で終わる文が連続している。
原文に忠実に訳されているからそうなるのだろうが、もうちょっとどうにかならないものかと思った。
ま、読んでいくうちには、そんなことはどうでもよくなって、内容の方に注意が向いてくるのかもしれないけれど。
『ドル大暴落の日』 も 『さらば愛しき女よ』 も、購入した本ではない。借りてきた本かといえば、それも違う。無料で入手した本である。
といっても、万引きしてきたわけではない。去年のことになるが、市の図書館の入り口の前にワゴンセールよろしく本が置いてあって、「自由にお持ち帰りください」 みたいな表示が出ていた。その中から適当に選んだ3冊の中の2冊なのである。