ミキータ・ブロットマン 『刑務所の読書クラブ』 (原書房、2017)、Tracy Chevalier: Falling Angels (Plume, 2002)、イヤミス傑作選 『あなたの不幸は蜜の味』 (PHP文庫、2019) と読み終えてきた。
今は、少し手持無沙汰な感じで、読みかけの本 (小説などではないから、通読する必要もない) をちょろちょろと読んだりしている程度。
ブロットマンの本は、著者が塀の中を垣間見た報告という面もある。「読書クラブ」 については、当初の期待どおりにはいかなかったのだから、失敗といってもいいかもしれない。その 「失敗」 の報告でもある。
「失敗」 だったからといって、得るものがなかったわけではない。実際、その本を書く材料は得られたわけだし。
それにしても、塀の中にいる人々を対象にした読書会なのに、選択された作品のリストを見るに、どういう基準に基づいたのかと、首をかしげたくなる。
ジョゼフ・コンラッド 『闇の奥』
ハーマン・メルヴィル 『書記バートルビー』
チャールズ・ブコウスキー 『くそったれ! 少年時代』
ウィリアム・バロウズ 『ジャンキー』
マルコム・ブラリー 『オン・ザ・ヤード』
ロバート・ルイス・スティーブンソン 『ジキル博士とハイド氏』
エドガー・アラン・ポー 『黒猫』
フランツ・カフカ 『変身』
ウラジーミル・ナボコフ 『ロリータ』
私が読んだことのないのは、『書記バートルビー』 と 『オン・ザ・ヤード』 だが、他のものも、一応通読したという程度。
作品の長さもまちまちだ。『黒猫』 や 『変身』 くらいならそれほどでもないが、ブコウスキーのものとかナボコフなんかは、それなりの分量がある。
コンラッドを読まされて囚人たちが戸惑ったのは分かる気がする。話に聞くところでは、そもそも原文からして分かりにくい英語で書かれているという。それにナボコフも、原文は初めの方をちょっと見ただけだが、とてもじゃないが読み進めることが出来るようなものではなかった。
でも、刑務所の長期 (あるいは終身) 服役囚に、そんなものを読ませたというのが、面白くもある。
『ジャンキー』 は、バロウズの作品の中では、素直に読めるものだという気もする (何十年も前に1度読んだきりではあるけれど)。ブコウスキーの、その自伝的な作品も、面白いには面白かったという記憶がある (私が初めに読んだのがそれで、続けて図書館にあるブコウスキーの翻訳をあれこれと読んでいった時期があった)。
著者は、自分が読んで受けた印象を、囚人たちと共有できたらと思ったのかもしれないが、彼らの反応はすげないものだった。
「読書」 とは、あるいはそういうものなのかもしれない。その人その人の中に何かの反応がおこり、それは個人的なもので、こういうふうに読むべきだとか、こういうふうに解釈するのだとか、外から示されるものではないということ。
しかも、塀の外に出られた者もいたので会ってみると、もう 「読書」 なんぞとは無縁の生活に入っていたりしたのだ。
そういう 「失敗」 体験を報告したものとして読むのは、どこか間違ってると言われかねないが、どういう読み方をしようと、それは他人にあれこれ言われる筋合いはないともいえる。
Tracy Chevalier の Falling Anels は、特殊な書き方で書かれた作品だ。すなわち、全編、何人かの人物の独白だけで構成されているのだから。だから途中で亡くなってしまうので、 Kitty の独白は、あるところから先には出てこない。
ブロットマンの本が 「塀の中」 にかかわっているとすると、この Tracy Chevalier の作品は 「墓地」 に強くかかわっている。
これほど墓地が出てくる作品は珍しいのではあるまいか。
まぁ、「文学」 作品なんて呼ばれるものは、大体が変なものを素材にしているのだから、それはそれでいいのだろう。