孤立とゴミ屋敷化、父と娘、殺人

エーネ・リール 『樹脂』 (早川ポケット・ミステリ・ブック、2017) を読み終えた。

 

途中、読み通せないかもしれないと思ったりもしたが、ロアルが登場してからは、普通に読めそうな気になった。

 

なぜそれを読んでみようと思ったかというと、ジョー・ネスボとかホルストの 『猟犬』 とかを読んで、北欧のミステリものが面白く感じられて、女性作家のものではあるがデンマークの小説で、しかも早川のポケット・ミステリに入ってるのだから、てっきりその手のものだと誤解したせいである。

 

 

読み終えてみると、それなりに思い出して、考えてみることもある。

 

一家の孤立した生活。本島があり、そこではそれなりに町の生活があるわけだが、その島とつながってはいるものの、瘤のように独立した地域となっている島。

 

森というか林というか、樹木の地帯や畑なんぞもあるわけだが、他に隣家といえるようなものがあるわけでなし、自然と孤立的な状態になっていったのかもしれない。

 

そんなところに住んでいた一家の主は、自然環境に愛着を持つ人物だったが、2人の息子たちのうちの長男はそこを離れてしまった。

 

残った次男は、父親の性質をより強く受け継いでいる感じだが、外からの刺激がなかったせいか、より風変わりな性情を強めてしまう。

 

それでも、そんな男と夫婦になる女が現れる。元々は、その男の母親の世話をするために来てもらった女だったが、男と親密になったのだ。しかし、男の母親は、二人がいっしょになることを歓迎していない (母親はやがて本島に去る)。

 

その妻は、後に何らかの病的な体質変化によって、ぶくぶくと肥満して、ついには自分の部屋のベッドを離れられないまでになってしまう。

 

それって、カフカの 『変身』 を連想させる。

 

 

ミステリ小説に分類するのはどうかと思われるが、それでも一家の主による母親や妻の殺害というのはある。

 

最後には一家の住居が炎に包まれて崩れ落ちてしまうところは、E・A・ポーの 「アッシャー家の崩壊」 を重ねてるのだろう。

 

 

一人娘リウに宛てて母親が記したメモの中に、スタインベックの 『ハツカネズミと人間』 のタイトルが出てくる。

 

それから、ロアルがマリアのところに辿り着いた時に、彼女の体の上に置かれていたのは 『ボヴァリー夫人』 だった。

 

『ハツカネズミと人間』 を持ち出したのは、正当な殺人 (*) というものがあるという暗喩か?

 

 ペーパーバック版が市の図書館にあったので、借りてきて読んだことはある。

 

『樹脂』 はデンマークの作家の書いた作品だが、リウの母親のメモには、学校の英語の授業で、読んでくるように指導があったということになっており、実際にそういうことがあるのかもしれない。

 

英国では義務教育年限が終わるまでに、英語の小説を何か1冊読み終えるように指導され、一番ポピュラーなのはスタインベックの Of Mice and Men だというのを、どこかで読んだ記憶がある。

 

短編よりは長いが、長編というには短い作品なので、読みやすいということか (でも殺人が出てくるので、日本だったら生徒に推奨されないかも)。

 

 

『樹脂』 を読む前に読み終えていたのが、額賀澪 『拝啓、本が売れません』 (文春文庫、2020) で、こちらはノンフィクションみたいなものだが、それなりに楽しく読めた。

 

若い女性作家のようだが、読ませる文章の書き手だと思う。

 

 

 

 

 

 

   *   *   *

 

上で言及した2冊は市の図書館から借りたものだが、ホームページのカレンダーを見ると、何と、現在は再び休館中だ。コロナのせいらしい。

 

以前休館していた頃にも本を返しにいったら閉館してて、開館状態に戻っても、しばらくは足を運ばなくなったりした。

 

今回はどうだろうか。とりあえず明日、返却口に入れて返却するだけはしておこうとは思っている。

 

 

フロベールの 『ボヴァリー夫人』 は、親父の蔵書に新潮社の世界文学全集の中の数冊があって、その中の1冊に入っていたから、それを見てタイトルだけは、おそらく小学生の頃から知っていた (何だか怪しい内容の本のような気がしていたのだろう)。

 

しかし、ついに読まぬまま年月は経て、やがて親父は他界した。

 

親父の蔵書の大半はお袋がゴミに出してしまい、それらの本を読むことは不可能になった。

 

そんなことまで、ふと思い出した。

 

   *   *   *

 

* 正当な殺人: 殺人に 「正当」 も何もあるのか? ドストエフスキーの 『罪と罰』 では、ラスコーニコフは老婆殺しについては 「正当」 だと考えていた。D. H. Lawrence の Sons and Lovers において母親を安楽死させた行為はどうだろう。同じ Lawrence は The Fox において、邪魔な存在である女を事故死に見せかけて殺すという設定にしている (目撃者がいるようにしたので、いわば完全犯罪だ)。あれまで 「正当」 というのは苦しい気がする。