ふと思いついたのだが、漱石の 『夢十夜』 に 「運慶」 というのがあったように記憶する。
木から仏像を彫り出すのだが、それは彫っているのではなくて、その仏像がその木の中に隠れていて、それを取り出すのだ、ということではなかったろうか。
そのことを思い出したというのが、晩年のC・G・ユングが、ボリンゲンだったかに建てた建物にこもって隠者のような生活をしながら、著作をしたり思索をしたりしていたらしいが、彼は石を彫ることもやってたみたい。
それは、芸術作品を作ろうという作業ではない。内面を石に投影し、その石と対話していたのである。
それって、漱石の 『夢十夜』 の 「運慶」 における話と、どこか通じるものがあるような気がした。
あるいは、「運慶」 の話の方が、よりユンク的な要素が強いようにすら思われる。
ユンクは意識下に潜むシンボルを意識化することで、生を充実させ、人生の意味に納得する道というものを考えていた。
「運慶」 において、彫り出されたものは、元からその木に内在していたものだという。すると、その像というのは、彫り手の心の中に内在していたものが投影されたものと見ることもできる。
彫るという作業、彫り出すという作業を通して、彫り手は自己の内面の、意識化されていない部分と対話し、それを意識化する作業をしていたのだ。
そう、ユンクがやはり注目し影響を受けた中世錬金術師たちの作業のように。