坂口安吾の妻・坂口三千代さんの回想記 『クラクラ日記』 の中に
彼は私が覚えている限り、電話というものにさわったことはない。
とある。
理由は三千代さんにも分からなかったようだ。
何日か家をあけても、三千代さんのところに電話をしてくるということはなかったという。
仕事の電話がかかってきても、取り次ぐのは三千代さんで、2階の安吾の仕事部屋に行って用件を伝え、返事を聞いてからまた電話口に戻る。
それが何往復にもなることもあるし、電話で原稿を読み上げるのも三千代さんの役目。
まるで王様だな。
唯一の例外があったのだが、それは三千代さんが妊娠している時のことだった。
その詳細は略す。
だが、後に安吾の方から家に電話をかけてくるようになる。
それは、息子が生まれてからだ。
ところが息子の声を聴きたくて電話をしてくる。
そして、こちらに来いという。
大変な変わりようだが、実はこの頃、安吾の寿命は尽きかけていたのであった。