今の私の読書スピードは実にのろのろ運転だ。
どうしてこうなったのか。
理由などどうでもいいけど。
小説ではなく、回想記のような本である 高野慎三 『つげ義春1968」 のような本なら、たちどころに読み通せると踏んでいたのが、これがなかなか進まない。
この遅さは何なんだ?
思うに、今の私は内容を 覚える ために読んでいるのではない。おそらく、声を聴くために読んでいるのではないだろうか。
著者の声が聞こえてくるかどうか。それには深く入り込まなければならない。
それには、上っ面を眺めて視線を流していくだけではだめなのだ。
だから時間がかかるのかもしれないが、しかし、本当に 声 が聞こえているだろうか。
ひょっとすると、私は自分の声を聴くために読んでいるのかもしれない。
と、いかにもまともそうなことを書いてみる気分になったので、メモしておく。