分ち書き的改行の多用

門井慶喜 『定価のない本』 (東京創元社、2019) を読み始めた。

 

作者の名が 「慶喜」 なんて、ちょいとフザケてる気がしないでもない。

 

それは、まあ、どうでもいいことかもしれない。内容が面白ければいいのだ。

 

 

ただ、この小説の書き方が少し気になった。

 

たとえば、極端な分ち書きの改行。27ページの一部を抜き出してみる。

 

 洋装本ではない。

 和紙をかさねて糸で綴じた、

 「和装本

 だ。

 

この短い文を改行せねばならない理由があるのだろうか。

 

過剰な改行をすることでページ数は増やせるかもしれないが、かえって読みにくくなる、ということもある。

 

想像だが、この作者はパソコンのエディターを使って横書きで執筆 (?) したのかもしれない。

 

横書きだと、何となくそういう感じで書いてしまうこともあるのではあるまいか。

 

しかし最終的には縦書きの書物になるのだから、その点は一考すべきだろう。

 

 

また、たとえば77ページの

 

 (野菜)

 庄治は、つばを呑んだ。

 

なんてのを見ると、素直に

 

 野菜と聞いて、庄治は思わず生唾を呑み込んだ。

 

くらいの書き方でもいいのではないか、と思ってしまう。

 

改行することでテンポのよさというか、切れのよさを狙っているのかもしれないが、かえってまどろっこしい印書を与えている気がする。

 

 

せっかく面白いテーマを扱っているのにもったいない。

 

 

* 私も分かち書きが多いが、私は小説を書いてるわけではないし、頭に浮かぶことを書き連ねているだけなので、意味不明の文など飛ばし読みしてもらうのに便利だと思っているからに過ぎない。