ニーチェの身の丈

超人の身長は分からぬが、ツァラトゥストラを書いた人の身長は分かるようだ。

 

171cm であったそうな。

 

それでも背丈が 「低い」 ということになるらしい。

 

なぁに、日本では 「大男、総身に知恵のまわりかね」 なんて文句があるぞ。

 

 

氷上英廣 『ニーチェの顔』 (岩波文庫) を読んでてニーチェの身長を知ったのである。

 

身長などどうでもいいのだが、ついどうでもいいことに興味を引かれてしまうのも人間だ。

 

 

ニーチェは大変な秀才で、ライプチヒ大学の学生の時に書いた論文が注目されて、スイスのバーゼル大学に、教授として招聘される。

 

一介の学生が、外国の、それも当時のヨーロッパで名門とされた大学に、教授のポストを用意してあるから来てくれと言われたのだ。

 

すごいことである。

 

 

それはどんな論文だったのか。

 

タイトルは 「ディオゲネス・ラエルテゥオスの資料について」 というのだそうだ。

 

何だか地味な感じがする。

 

ディオゲネス・ラエルティオスは、「ギリシャ哲学者列伝」 を書いてエピキュロスを紹介した人。

 

エピキュロスは膨大な著作をしたらしいが、不思議なことにそれらはことごとく失われている。

 

原因は、おそらくキリスト教徒が 焚書 にしたためだろう。

 

その 「ディオゲネス・ラエルテゥオスの資料」 が発掘されるということがあり、文献学の徒であったニーチェが、それについての論文を書いたのだ。

 

ニーチェはエピキュロスに関心を抱き続けた人のようである。

 

 

そして、ニーチェとは相いれない存在だと思われるカール・マルクスが、イェーナ大学で博士号を取った論文のタイトルが、何と 「デモクリトスエピクロスとの自然哲学の差異」 だという。

 

ニーチェマルクスが、どちらもエピキュロスを見ていたというのが面白い。

 

これも氷上英廣 『ニーチェの顔』 を読んで知った。