前回、久しぶりに市の図書館に足を向けてからもう2週間。
天気もよし、運動がてら、ぶらぶらと歩いて行ってみた。
前に借りた本を返し、館内をぶらぶら。
前回、大木泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書、2014)を借りてきて通読したのであったが、同じ場所で今度は『名作の食卓』(角川学芸ブックス、2005)という本に目がいった。
ありゃ、また同じ著者、大木泉の著書じゃないか。
こうなりゃ、これも読んじまうか、ということで借りてきた。
それから、海外文学のコーナーを歩いてて、"文学" というのが適当かどうか疑問だが、トマス・エンゲル『瘢痕』(早川書房、2014)という文庫本に目がいった。
著者名からすると、ゲルマン系っぽい。
手に取ってみると 「著者紹介」 に "1973年オスロ生まれ" とあるのを見て、「これも借りて帰ろう」 と思ってしまった。
北欧ミステリを何冊か読んだことがあるので、北欧関係なら出来るだけ読んでみたいという気はある。
ただ、かなり分厚い文庫本なので、読み通せるかどうかが問題。
日本の時代小説など、借りて帰りたかったものもあったが、今の私の読書速度では、限られた日数で読み通せない可能性が大なので、とりあえず2冊だけにして、この2冊だけは消化した上で、次回に借りる時に考えようと思った。
ところが、予定外ではあるが、無料で図書の持ち帰りの出来るコーナーが、入り口の外、エレベーターに近い場所にあって、「おひとり様20冊まで」 とあるではないか。
タダで持ち帰って読んで下さいとは、何たるサービス! なぜ蔵書として置いておかないのかは分からないが、それらの本は処分したいらしい。
いい本は既に持ち帰られた可能性はあるが、それでも、何となく手に取って、3冊の文庫本を頂戴することにした。
T・ジェファーソン・パーカー『渇き』(講談社文庫、1998)
ジェイソン・コーゾル『ドル大暴落の日』(講談社文庫、1992)
レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』(ハヤカワ・ミステリ文庫、1995)
いずれも1990年代に出た本ということになる。そういうのは、もう "古い" ということなのだろうか。
暇つぶしに読むのなら、そういうのもいい。他にも手にしてみた本はあったのだが、借りた本と合わせるともう5冊抱えているし、駅まで歩いていくことを考えると、それ以上に欲張るのは遠慮した。
もう家には、なるべく蔵書を置きたくないのだ。Hard-Off の本だとて、出来れば安易に蔵書にしたくはない。金の問題というより、本が増えすぎてしまうのが心配なのである。
まして、暇つぶしで読む程度の本なら、出来れば図書館で借りてすませたい。
ああ、それなのに ・・・
もちろん、これから読むのは図書館から借りてきたものから。
"お持ち帰り" 本は、「いつか読もう」 ということで "積読" 本になる可能性もあり。